高齢者の意思決定をいかに尊重するか

今回は、高齢者の慢性腎不全の治療において、透析を標準治療とする現状に疑問を投じ、より人間中心のアプローチを提案する論文「高齢者のための共有意思決定:デフォルトとしての透析を超える」を紹介します。

 

元論文はこちら→

Saeed F, Schell JO. Shared Decision Making for Older Adults: Time to Move Beyond Dialysis as a Default. Ann Intern Med. 2023;176(1):129-130. doi:10.7326/M22-3431

この論文は、アメリカ医学会誌に掲載されたものです。

ここでは、高齢者の治療選択における共有意思決定(SDM)の重要性を強調し、透析以外の選択肢、特に保守的腎臓管理(CKM)の可能性を探求しています。

「共有意思決定(SDM)」と「保守的腎臓管理(CKM)」についての説明をしますね。

共有意思決定(SDM: Shared Decision Making)とは、医師と患者が共に情報を共有し、患者の価値観や希望に基づいて治療の方針を決定するプロセスのことを言います。

SDMでは、医師が医学的な情報を提供し、患者は自身の価値観や生活状況を考慮しながら治療選択を行います。

これによって、患者は自己の健康に対する責任を持ち、意思決定に参加することができます。

一方、保守的腎臓管理(CKM: Conservative Kidney Management)とは、進行性の腎臓病がある患者に対して、「透析をしない選択」を尊重し、症状のケアや残された時間における生活の質に焦点を当てた治療法のことを言います。

 

現在の医療システムでは、腎不全の高齢者に対して、「透析治療を導入すること」がなかば当然のようになってしまっています。

しかし、透析は生命を延ばす一方で、生活の質に大きな影響を及ぼすことがあります。

CKMは、患者の価値観や目標に合ったケアを重視します。

 

この論文は、高齢者の腎臓病治療における透析以外の選択肢を検討し、患者の価値観に基づいた意思決定を促進するための新しい視点を提供しています。

 

「フレッシュスタート効果」

新しい年がはじまりました。

昨年の末頃から「年が明けたら運動をはじめよう」とか「新年になったらアレを目標にしよう」とか、静かな意気込みを燃やしていた方も多かったかも知れませんね。

順調なスタートが切れたでしょうか。

新年や誕生日などの特別な日が、私たちの心理的なスタート地点となり、過去の失敗からの距離を生み出し、新たな目標に向かって進む力を与えることが、科学的に証明されています。

これを「フレッシュスタート効果」というのだそうです。

 

元論文はこちら→

Dai H, Milkman KL, Riis J. Put Your Imperfections Behind You: Temporal Landmarks Spur Goal Initiation When They Signal New Beginnings. Psychol Sci. 2015;26(12):1927-1936. doi:10.1177/0956797615605818

 

この研究では、そうした「時間的ランドマーク」が、人々の自己評価や目標達成への取り組みにどのように影響を与えるかが検証されました。

時間的ランドマークとは、年初や誕生日のように、過去の自分と現在の自分を区別する重要な日のことです。

これらは、私たちに「新しい始まり」の感覚を与え、新たな目標に挑戦するモチベーションを高めます。

例えば、新年には多くの人がダイエットや運動、勉強などの新しい目標を設定します。

これは、新年が「新しい自分」をスタートさせる機会と捉えられるためです。

同様に、誕生日や仕事の記念日なども、自己改善の機会として機能することがわかっています。

この理論を裏付けるために行われた実験では、参加者たちが時間的ランドマークを意識することで、過去の失敗からの心理的な距離を作り、新しい目標達成に向けての取り組みが増加することが示されました。

「新しい自分になったつもり」になるのですね。

この発見は、私たちが目標を設定し、達成する過程で、時間的ランドマークを意識的に利用することの重要性を示しています。

新しい年、新しい月、あるいは新しい週が始まる時、私たちは新たな可能性に向けて一歩を踏み出す機会を得ます。

 

 

カロリー表示と健康志向

食べ物は私たちの活動のエネルギーとなり、身体をつくりあげていく重要なものです。

ですから、正確な食品表示は、私たちの食生活を豊かにし、安心をもたらす重要な要素となります。

例えば、レストランのメニューにあるカロリー表示。

単純に「美味しいもの」を選ぶのも良いのですが、自分にとってより健康を考えた食事を選ぶのは大切なポイントになります。

ここで、ファーストフードチェーンにおけるメニューラベリングの効果についての研究をみてみましょう。

カリフォルニアのタコベルで行われたこの研究は、メニューにカロリー表示が導入された後の購入行動に焦点を当てています。

 

元論文はこちら→

Rummo PE, Mijanovich T, Wu E, et al. Menu Labeling and Calories Purchased in Restaurants in a US National Fast Food Chain. JAMA Netw Open. 2023;6(12):e2346851. Published 2023 Dec 1. doi:10.1001/jamanetworkopen.2023.46851

 

研究では、2007年から2014年にかけての取引データが分析されました。

その結果、カリフォルニア州の店舗では、メニューラベリングが導入された後、平均して一回の取引あたり約24.7カロリー少なくなるという傾向が明らかになりました。

これは他の州と比較しても特徴的で、地域による影響の違いを示しています。

このデータは、消費者の選択に与える情報の影響を考える上で重要な指標となります。

メニューラベリングが導入されると、顧客はより健康的な選択をする傾向にあることが示されています。

しかし、この影響は地域によって異なることも重要です。

カリフォルニアのような州では効果が顕著ですが、他の州ではそうではないかもしれません。

この研究は、健康意識の高まりとともに、メニューラベリングがより一般的になる中で、消費者の選択に与える影響を理解する上で貴重な一例と言えます。

健康的な食生活を促進するためには、ただ情報を提供するだけでなく、地域の文化や習慣に合わせたアプローチが重要であることを、この研究は教えてくれます。

 

ファビングの影響

 

カフェの隅で、スマートフォンに見入る若者たちがいます。

彼らは、対面での会話よりも画面上のメッセージに夢中です。

これは、今や日常で普通にみられる光景ですが、これが「ファビング」と呼ばれる行為です。

「ファビング(Phubbing)」とは「phone snubbing = 電話スナッビング」を略した造語です。

Snubbing とは、英語で「鼻であしらうこと、ひじ鉄砲、冷遇、無視、拒否する」という意味。

つまり、他人との対面でのやり取りよりもスマートフォンを優先する現象です。

ファビングを行う人は、他人との付き合いを無視してスマホの画面に集中しています。

その結果、「ファッビー」と呼ばれるファビングの対象となった人は、無視されている、または重要とは思われていないと感じる可能性があります。

一見、些細なことのように思えますが、この行為が私たちの心と生活に深く関わっていることを、ルーマニアの研究者たちが明らかにしました。

 

元論文はこちら→

Maftei A, Măirean C. Put your phone down! Perceived phubbing, life satisfaction, and psychological distress: the mediating role of loneliness. BMC Psychol. 2023;11(1):332. Published 2023 Oct 12. doi:10.1186/s40359-023-01359-0

 

この研究は、18歳から77歳までの720人の成人を対象に行われました。

彼らは、ファビングの経験、孤独感、生活満足度、心理的ストレスについてのアンケートに答えました。

結果は予想通りなものでした。

ファビングは孤独感と強く関連し、それが心理的ストレスや生活満足度に影響を与えていました。

スマートフォンの画面に夢中になることで、私たちは自分自身を孤独にし、心の健康に影響を及ぼしているわけです。

では、私たちはこのデジタル時代にどう向き合えばいいのでしょうか。

スマートフォンは便利ですが、その画面に映る世界に夢中になりすぎると、目の前の大切な人とのつながりを失ってしまいます。

ファビングは個人的な行動であると同時に、社会的な現象でもあります。

私たちの行動一つ一つが、心理的健康や人間関係に波及するのは当然のことと言えます。

この研究から私たちが学ぶべきことは、スマートフォンを手放し、目の前の人と真剣に向き合うことの大切さです。

デジタルの世界で得られるつながりは、リアルな人間関係に代わるものではありません。

スマートフォンを一時的に置いて、目の前の人の話に耳を傾けることで、私たちはもっと充実した人生を送ることができます。

それは、デジタルと非デジタルの世界のバランスを取る鍵です。

 

 

2024年 新年のごあいさつ

明けましておめでとうございます。

昨日は年末の特番を見ながら、2023年に起こった出来事などを振り返る機会を得ました。

私にとって、日常生活に最も影響を与えたのが、コロナ関連の出来事だったと思います。

特にその扱いが5類と同等になったことが、私たちの暮らしぶりや働き方に大きく影響をあたえてきました。

気がついたら4年が経過していたのですね。

よく「時がとまっていた」という表現をつかいますが、「とまって」いて何も変わっていないようでも、私たちは明らかに4年分の歳をとっていました。

4年分の時間がいかに貴重であったかを、特に思い知らされる1年だったと思います。

フルに動き出すには、まだ時間が必要かも知れません。

今年はどんな年になるのでしょう。

「人生は、あいまい、中途半端、いい加減、適当、グレーゾーンが大切」

最近目にした本の欄外の言葉が、とても心に刺さっています。

皆さんにとって健やかな1年でありますように。

今年もよろしくお願いいたします。

 

2023年おおみそかの日に

いつも言っていることですが「あっという間におおみそか」を迎えてしまいました。

そして、毎年、今日は同じことを書いている気がします。(気がするではなく、きっとそうです。)

つまり「このブログを書き始めた記念日」だということ。

2012年12月31日からスタートした「院長ブログ」は、毎日投稿して、昨年2022年に10周年を迎えました。

今日で10+1周年となります。

「今日は何日目?」というサイトでざっと計算すると、4018日目になるのだそうです。

「へえ、毎日書いているの!」と一度は感心してくれた読者も、さすがに10年を超えると環境も変わりますし、ブログの存在自体もお忘れになられるようです。

そりゃそうです。

内容が面白いわけでもなく、時事ネタを扱っているわけでもなく、他の医療関係のサイトのようにお役立ち記事も書いていませんから。

私の家族も「続けているらしい」ぐらいの認識しかないので、いつの間にか書いている本人も「誰も読まない」が前提になってしまいました。

しかも、今は動画の時代です。

本気で情報発信するなら「さむら脳神経クリニック」の佐村先生のように、ブログからYouTubeに乗り換えるべきでしょう。

「なんかよく知らんけど、なぜか続いている」だけのブログですが、それでも通算3回ほどサイトが乗っ取りにあったり、サーバーに弾かれたりして、中断の危機に遭遇していました。

ニフティのブログに同時発信するようになったのは、そのためです。

何かを10年続けたら、さすがに何かの形になるだろうと思っていましたが、何者にもならず(なれず?)だからなのか、まだ続けられる気でいます。

考えてみれば、おおみそかの日に「周年」の記念日を迎えるのは、私にとってラッキーだったかも知れません。

新しい年の元日に、また新しい1ページを進めることができますから。

こんなブログですが、続けられているというのは、いろいろな意味でありがたいことです。

今年もありがとうございました。

また来年、よろしくお願いします。

 

査読の世界の裏側

私たちが普段目にする科学論文。

その背後には、専門家による厳しい査読プロセスがあります。

世に出る科学論文が信頼されるのは、この厳しい品質管理があるからです。

しかし、最近の研究によると、この「品質管理」にちょっとした懸念が隠されているようです。

 

元論文はこちら→

Geldsetzer P, Heemann M, Tikka P, et al. Prevalence of Short Peer Reviews in 3 Leading General Medical Journals. JAMA Netw Open. 2023;6(12):e2347607. Published 2023 Dec 1. doi:10.1001/jamanetworkopen.2023.47607

 

この研究は、一流医学ジャーナルの査読プロセスをチェックしたものでした。

改めて「査読」について説明すると、科学者が書いた論文を別の専門家がチェックすることです。

プロの料理人が作った料理を、これまた別のプロのシェフが試食するようなものです。

このプロセスは論文の質を保証するために重要です。

しかし、この研究によると、意外にも、査読の中には非常に短いものが少なくないということが明らかになりました。

一部の査読は200語にも満たない短さだったそうです。

これは、シェフが「うん」と一言だけうなずいて厨房を後にするようなものです。

研究者たちは、BMJ、PLOS Medicine、BMC Medicineの3つのジャーナルで11,466件の査読を分析しました。

すると、全体の17.1%が200語未満の非常に短い査読だったのです。

ちなみに、これは私のこの文章の約5分の1程度の長さです。

さらに、初期の編集決定の約50%以上がこのような短い査読に基づいていることも分かりました。

先ほどの料理の例えを繰り返すと、レストランのメニューの半分以上が「うん」というシェフの一言で決まっているようなものです。

この結果は、科学コミュニティにとって重要な意味を持ちます。

査読の質が研究の質に直結するため、査読が短すぎることは問題となり得ます。

しかし、一方で、当然ながら査読の長さだけが質の全てではありません。

大切なのは、短くても的確なフィードバックを提供できるかどうかです。

こんな研究論文が世に出ることで、今後行われる査読の質がより良くなることを期待したいですね。

 

猫の行動学:フェッチングの研究

ペットを飼っている人にとっては、ごく普通にやっている遊びがありますね。

英語では「fetching」と言うものです。

「fetching(フェッチング)」というのは、飼い主が投げたものをペットが取ってきて、飼い主の手元に戻す一連の行為を指します。

そう説明すると、あなたが思い描くのは、飼い主が投げたボールを、ちぎれんばかりにしっぽをふる犬が、すごいスピードで駆け出して、飼い主の元にボールを戻すシーンでしょうね。

フェッチングは相互に絆を深める遊びとして、特に若い犬に頻繁に見られます。

また、犬の中には訓練可能性が高い種が存在し、特定の品種はフェッチングに特に適しているとされています。

例えば、狩猟犬などがそうなのでしょうね。

では、猫の場合はどうなのでしょう?

そんな疑問にひとつの答えを示してくれる研究があります。

 

元論文はこちら→

Forman J, Renner E, Leavens DA. Fetching felines: a survey of cat owners on the diversity of cat (Felis catus) fetching behaviour. Sci Rep. 2023;13(1):20456. Published 2023 Dec 14. doi:10.1038/s41598-023-47409-w

 

猫の場合、フェッチングの定義には幾分独自の側面があります。

この研究では、「フェッチング」は、猫がオブジェクトを追いかけ、それを拾い上げて、元の場所や飼い主のもとに戻す行動と定義されています。

この定義は、犬のフェッチングとは若干異なります。

犬の場合、フェッチングは一般に訓練された行動と見なされ、飼い主がオブジェクトを投げた後、犬がそれを取って戻すという一連の行動が含まれます。

犬は、この過程で飼い主の指示や合図に応じるのです。

猫のフェッチングに関するこの調査研究は、世界中の924人の猫の飼い主による1154匹の猫のデータを基にしました。

研究者たちは、特に猫が初めてフェッチングを示した時を中心に、様々な質問を通じて情報を収集しました。

その結果、ほとんどの猫(94.4%)が特別な訓練なしにフェッチングを始め、この行動は主に1歳未満(701匹)または1~7歳(415匹)の時に最初に認識されました。

猫は飼い主よりもフェッチングの開始や終了を決定する主導権を握っていることが示されています。

つまり、フェッチングをするのも、やめるのも、猫の気分次第…ということですね。

犬の場合と同様に、猫のフェッチングはストレスの軽減や運動能力の向上に寄与する可能性があります。

ただし、猫のフェッチングは犬とは異なり、自然に発生することが多く、猫の本能的な行動に基づいていると考えられています。

調査に参加した飼い主の中で、女性が64.8%、男性が23.1%、ノンバイナリーが9.4%を占めており、さまざまな地域からのデータが含まれていました。

また、猫の種類は多様で、純血種とミックスブリードが混在していました。

猫が好んでフェッチングするオブジェクトは多岐にわたっていて、猫用のおもちゃだけでなく、くしゃくしゃにした紙や化粧品など、家庭内で見つけられる物ならなんでも良いようです。

猫のフェッチ行動は個々の猫によって大きく異なっていて、特定の状況下でのみフェッチを行う猫もいれば、積極的に何度もフェッチングを繰り返す猫もいました。

この研究の結論として、猫のフェッチングは猫の性別や品種、住む場所によって限定されるものではなく、大多数の猫が訓練を受けずにこの行動を始めていることが明らかになりました。

猫のフェッチングに関するこの研究では、猫が人間との関係でより主導権を握っていることが示されました(笑)。

ストレスについて理解する

今日は動画の紹介です。

スタンフォード大学医学部の神経生物学の准教授であるアンドリュー・ヒューバーマン博士が、ストレス、不安、トラウマに関する洞察を提供する内容です。

 

 

まず、ヒューバーマン博士はストレスを二つのタイプに分けています。

一つ目は、私たちがよく知る「過度に活性化された状態」

これは、心臓がドキドキし、手が震えるような状態です。

まるで、準備もしていないのにステージに立たされた時のように、あたふたしてしまう状況ですね。

この状態では、心と体を落ち着かせることが重要です。

二つ目のタイプは、「活性化不足」

こちらは、世界が急速に動いている中で、自分だけがエネルギー不足に陥ってしまう状態です。

まるで、朝の目覚めが悪い時のように、なかなか動き出せない感じです。

 

さて、続けてそれらストレスに対する、脳と神経系の話について言及しています。

ヒューバーマン博士によると、私たちの脳と神経系は、感覚、知覚、学習、行動、認知の5つの機能を持っています。

感覚は「非交渉的」で、私たちの体は、光や圧力などの物理的現象を感じ取るように設計されています。

一方、知覚は「交渉可能」で、私たちは何に注意を向けるかを選ぶことができます。

 

学習に関しては、子供の頃は受動的に学び、成長するにつれて能動的な学習が必要になるとヒューバーマン博士は述べています。

大人になると、学習には集中力とエネルギーが必要ですが、それは脳が変化しようとしている証拠なのです。

 

この動画から、ストレスや不安、トラウマに対する新しい理解を得ることができます。

私たちの脳は、常に環境に適応しようとしており、それには時にはストレスや不安が伴うこともあります。

しかし、これらの感情は、私たちが成長し、学び、適応するための重要なサインなのです。

 

このように、ヒューバーマン博士の洞察は、私たちが日常生活で直面するストレスや不安に対して、より科学的かつ建設的なアプローチを提供してくれます。

そして、それは私たちの脳が、常に最適な状態を目指しているという事実を思い出させてくれます。

 

スポーツにおける完璧主義の二面性

スポーツの世界で、「完璧主義」はアスリートにどんな影響を与えるのか?

最近の研究が、この問いに対する新たな答えを示しています。

 

元論文はこちら→

Nordin-Bates SM, Madigan DJ, Hill AP, Olsson LF. Perfectionism and performance in sport: Exploring non-linear relationships with track and field athletes. Psychol Sport Exerc. 2024;70:102552. doi:10.1016/j.psychsport.2023.102552

 

「完璧主義」という概念は、一見すると単純なもののように思えますが、実際には非常に複雑です。

完璧主義的志向(PS)と完璧主義的懸念(PC)の二つの側面を持ち、これらはアスリートのパフォーマンスに異なる影響を与えることが明らかになりました。

完璧主義的志向(PS)というのは、個人が自分自身の能力を最大限に引き出すことを目指すポジティブな動機づけを指します。

例えば、こんな感じです。

1. 「私は自分の最高のパフォーマンスを目指して頑張る。これが私の限界ではない。」

2. 「毎日のトレーニングで、少しずつでも成長している。自分の進歩を信じている。」

3. 「ミスをしても、それは成長の一部。次はもっとうまくやれる。」

一方、完璧主義的懸念(PC)は、失敗への恐れや他者による評価への過度の懸念を示すネガティブな側面です。

1. 「もし失敗したら、どう思われるだろう?他人の評価が気になる。」

2. 「完璧でなければ意味がない。ミスは許されない。」

3. 「常に最高でなければ、自分に価値はないと感じる。」

今までの常識では、完璧主義的志向(PS)のようにポジティブな動機づけがパフォーマンスをあげるのに適していると思われてきました。

しかし、実際はそうではなかったようです。

結果として、完璧主義的志向(PS)が高い場合、一定のレベルまではパフォーマンスを向上させることができましたが、ある点を超えて過度になると、パフォーマンスが低下する可能性があることが示されたのでした。

ランナーの例で言えば、自己ベスト更新への強い意欲が、実は自己を追い詰め、足踏みをさせている可能性があるのです。

では、どうすればバランスを取ることができるのでしょう?

答えは、現実的な目標設定と自己受容にあります。

完璧を目指すことは素晴らしいのですが、それが全てではありません。

時には、自分自身を許し、今の自分を受け入れることも必要です。

完璧主義のランナーにとって、真の勝利はタイムではなく、自己との和解にあります。

自己ベストを目指しつつも、完璧に囚われず、自己の限界を受け入れ、それを超えるために努力すること。

そこに、真のパフォーマンスの向上があるのです。

このバランス感覚を求め続けることこそが、ランナーにとっての最大の挑戦とも言えます。