じん臓のしくみ 体の水分量を調整する方法

生物の体のしくみを知ると、この生き物の創造主はなんて精妙な設計士なのだろうと驚嘆することになります。

特に内臓器官は、そのどれもが素晴らしい個性を持っていて、その豊かさに目を見張ります。

私が腎臓内科を専門にしているということもありますが、今回はじん臓の素晴らしさをご紹介します。

 

じん臓のはたらきのひとつに、「体の中の水分を量を調節する」というのがあります。

下痢や嘔吐など、体の水分が奪われた時に、さらなる水分の減少を防ぐために尿の量は少なくなりますね。

もしかしたら、皆さんはこの現象を「タンクの中の水が少なくなった→だからちょろちょろとしか水が出ない。」と同じもんだろうと考えてはいませんか?

「体の中の水分が少ない→だから尿が少なくなった。」

見かけは似ているかも知れませんが、中身は違います。

その時の尿の色は、濃い黄色をしているはずですね。

少量の薄い尿ではなく、尿を濃縮して少ない量にしているのです。

 

少し話はそれますが、水分の量を調節するはたらきのほかに、じん臓はタンパク質が代謝されてつくられる「窒素代謝物」=「老廃物」を尿に溶かして捨てるというとても重要な働きを持っています。

基本的な窒素代謝物としてあげられるのは、アンモニアです。

魚などはエラから、たえずアンモニアを捨てています。

けれどもアンモニアは水に溶けやすいという利点はあるものの、毒性が強いという欠点があり、多くの哺乳類はアンモニアを窒素代謝物として扱うことを避けました。

何かの拍子にアンモニアが体内にあふれだすことを恐れたのでしょう。

アンモニアと二酸化炭素が結合すると「尿素」という毒性が低い物質になります。それで、尿素を「窒素代謝物」として捨てることにしたようです。

ところが、アンモニアと比べて尿素にも欠点があります。

水に溶かさないと扱えず、しかも大量の水を必要とするということです。

 

ところで、窒素代謝物をろ過するのがじん臓の中の糸球体というところです。コーヒーフィルターをイメージしてもらったらよいですね。

話をもとにもどして、尿の量を調整するとは、ざっと2通りの方法が考えられると思います。

1つ目は糸球体がろ過する量を減らすこと。

もともとが少ないのですから、尿は減ります。でもこれでは窒素代謝物をろ過することも少なくなってしまって体内に老廃物がたまってしまうということになりますね。

 

2つ目は、ろ過した尿から水分をぬくこと、つまり濃縮すること。

 

ひとくちに濃縮といっても、このシステムがまたすごいのです。

よくこんなこと考えついたなあと感心します。

対向流増幅システムと呼ばれるものです。

 

まずは設計の発想がすごいのです。

濃縮するということは、水分を取り除くということですね。

たとえば、実際に海水を淡水化する工程では、フィルターを使用しているそうです。

水分しか通らないような細かいフィルターを通せば、水は抜けていくので濃縮されます。

けれども、それはろ過の原理と一緒なので調節が難しくなります。

透析黎明期の頃、除水量を血流量で調整していたのと似たしくみになるかも知れません。

 

実際にじん臓がとったシステムとは、浸透圧を利用した濃縮システムでした。

なんと逆転の発想。

何をしたかというと、ろ過した尿からナトリウムを抜くことをしたのです。

そうすると、尿は濃縮されるどころか、希釈されます。さらに薄くしてしまったのです。

 

糸球体からろ過された尿は尿細管という細い管を通るのですが、尿細管の外は汲み出されたナトリウムで満たされて浸透圧が高くなります。

つまり、そこに浸透圧の差が生じます。

 

下図をごらんください。

尿細管はヘアピン状に急カーブをしていて、管外の浸透圧差を利用して尿の濃縮や希釈具合を調節するしくみをつくったのでした。

具体的には尿細管の壁に並ぶ細胞にちょっとしたしかけをこしらえて、尿を濃縮したいときには水を通しやすくします。

すると水は浸透圧の低いほうから高い方へと移動しますから、水は尿細管の中から外へ浸みだしていきます。

希釈したいときには、何もせずともいいわけです。もともとがナトリウムが抜かれて希釈されていますから。

 

その濃縮・希釈の調節はどこがリーダーシップをとって指令を出しているのでしょう?

じん臓が独自に考えているのか?

実は、じん臓は水分の過不足を自分で判断することができません。

水分のコントロール指令は、遠く脳から発せられているのです。

体全体を統括する脳が感知した方が合理的といえますね。

脳から出たホルモンが、尿細管に作用し水分を調整するように働きます。

水の通過性を左右する「抗利尿ホルモン」と呼ばれるホルモンです。

 

このあたりの連携プレーは見事と言うしかありません。

あえてナトリウムを外に出して、そこに浸透圧差をつくり、その中をヘアピンで通して、そこにホルモンを作用させる…。

こんな見事なシステムなど誰が考えつくでしょう?

 

対向流増幅系

 

 

サーストンの三原則

マジックをするうえで、特に初心者が守るべき3つの原則があります。

  1. マジックを演じる時、あらかじめ演技の内容を説明してはならない。
  2. 同じマジックを同じ場所で、同じ観客の前でくりかえして演じてはならない
  3. タネあかしをしてはいけない

 

一般にはサーストンの三原則と呼ばれているものです。

本当にサーストンが言ったものなのか、なぜか日本ではそう呼びならわされています。

名探偵コナンでも怪盗キッドがこの三原則を持ち出すぐらいですから、マジシャンにとって基本的な心得なんですね。

 

しかし、これがなかなか難しいものです。(特に初心者には)

特に2.がどんな状況かというと、「すごい!もう一回見せて!」とか、「うわあ、感動した。今度はゆっくり見せて!」というように

かなり自尊心を甘くくすぐられている状況なんですね(笑)。

 

そういう時には同じスタートで違う結末のマジックをするのがbetterだと言われています。

そして、何にでも通じるのは「どのように終わらせるのが一番いいのか」ということなのでしょう。

みんなが楽しくて盛り上がって、みんながマジックを好きになってくれることが一番です。目的を忘れてはいけませんね。

 

そして、反省をこめた私の4番目の原則を紹介します。

  4. 一晩中カードマジックをするつもりになってはならない。

 

 

 

やなせたかしさんの幻の生前追悼号

 

「詩とファンタジー」の冬思号(2014 No.25)と春生号(2014 No.26)はやなせたかしさんの追悼号でした。

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やなせたかしさんが生前葬を企画していたのは、有名なお話ですね。

しかし、準備の段階で東日本大震災が発生したため

「大震災の時にこんなことはできない」と中止にしたということは知っていました。

 

そんなやなせさんは生前葬だけでなく、「生前追悼号」も企画していたのですね。

この特集号には幻の生前追悼号に寄せたやなせさんと親しい方々のメッセージの数々が寄稿されています。

そして、キャラを代表してジャムおじさんの弔辞。

 

なんとも懸命に生きてきた方だからこその特集号なのだと思います。

 

発行人の伊藤玄二郎氏の「やなせたかしさんの思い出」の文中の堀口大學の詩が胸に響きました。

 

愛すとは少し死ぬこと

愛する者のためゆえに

少し死ぬこと

 

「飢えた人のために我が身をけずるアンパンマンの生き方に似ていまいか。」という言葉に深く共感します。

誉れ高き「やぶ医者」

先日、新聞を読んでいて面白いなあと思った記事がありました。

それで調べてみると、もしかしてこれは広く知れわたっていることなのかも知れないと思いはじめました。

なので、「もうとっくに知っているよ~」というお方は今日はスルーしてもらっていいお話です。

「やぶ医者」のこと。その由来のお話です。

 

やぶ医者というのは、藪医者と書いてやぶ医者。

つまりは風が吹いたらざわざわと音を立てる藪。

それをかけて、風邪が流行った時だけ患者が増える医者を揶揄する言葉。

…と、思っていました。

 

今日、紹介するのは別の説です。

兵庫県に養父(やぶ)市という市があるそうです。

実は、そこのホームページにも「やぶ医者」のことが説明されているので、詳しくはそちらを読んでもらいたいのですが

簡単に説明すると

 

松尾芭蕉の弟子で彦根藩士の森川許六(きょりく)がこんな一節を残しているらしいのです。

 

「世に藪医者と号虎するは、本名医の称にして、今いふ下手の上にあらず」

 

つまり、もともと「やぶ医者」というのは、文字通り養父にいた、しかも名医のことだったそうです。

 

死んだも同然の人間を治してしまうほどの名医だったようで

貧しい人たちにも薬代を施すような、「赤ひげ」を彷彿とさせる、皆に慕われた方でした。

 

ところが、そのブランドに乗っかるようなバッタモンが続々と登場します。

「養父から来た。」「養父で医者修行をした。」

ブランドを語るニセモノですから、実力が伴わない輩でした。

そういう経緯から、名医としての代名詞が、やがて信用できない腕の悪いインチキ医者を表すようになったというのです。

 

そういう説があったとは驚きですね。

 

もうひとつ。

実は兵庫県養父市には医師会がありまして、そのホームページを覗いてみました。

歴史・沿革にこんな記事があります。

「世に藪医者と号するは、本名医の称にて…。但州養父といふ所に隠れて…。」

1706年芭蕉十傑の一人許六が本朝文選に記してから300年の歴史が刻まれた養父(市)医師(会)。

市(郡)医師会としては50年余の歴史が記録に残るのみであるが、21世紀の藪医者集団として後世にその名を残したいと会員は研鑽を続けている。

 

「21世紀のやぶ医者集団として日々研鑽」

この志が素晴らしいですね。

訪れてみたくなりました。

 

 

宮澤賢治 「永訣の朝」

 

自己犠牲という言葉が偽善でなく、他者への奉仕という純粋な動機に基づくものであること。

苦悩しながら、それを願い実践し足あとを残してきた詩人が宮澤賢治なのだと思います。

 

最愛の妹トシを亡くした賢治は、全ての人間に最愛の者への愛情と同等の愛情を抱くことで執着を離れ信仰を深めていきました。

代表作である「永訣の朝」は、宮澤賢治のトシへの愛情があふれ出ていて胸がつまります。

 

詩の中のトシの言葉

「うまれでくるたて

 こんどはこたにわりやのことばかりで

 くるしまなあよにうまれてくる」

今度生まれてくるときには、自分のことばかりでなく他の人への奉仕をするために生まれてくる。

享年24歳。

この言葉が宮澤賢治のその後の生き方を導いていくのでしょう。

 

 

 

 

    永訣の朝

けふのうちに

とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ

みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ

(あめゆじゆとてちてけんじや)

うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から

みぞれはびちよびちよふつてくる

(あめゆじゆとてちてけんじや)

青い蓴菜(じゆんさい)のもやうのついた

これらふたつのかけた陶椀(たうわん)に

おまへがたべるあめゆきをとらうとして

わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに

このくらいみぞれのなかに飛びだした

(あめゆじゆとてちてけんじや)

蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から

みぞれはびちよびちよ沈んでくる

ああとし子

死ぬといふいまごろになつて

わたくしをいつしやうあかるくするために

こんなさつぱりした雪のひとわんを

おまへはわたくしにたのんだのだ

ありがたうわたくしのけなげないもうとよ

わたくしもまつすぐにすすんでいくから

(あめゆじゆとてちてけんじや)

はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから

おまへはわたくしにたのんだのだ

銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの

そらからおちた雪のさいごのひとわんを……

…ふたきれのみかげせきざいに

みぞれはさびしくたまつてゐる

わたくしはそのうへにあぶなくたち

雪と水とのまつしろな二相系(にさうけい)をたもち

すきとほるつめたい雫にみちた

このつややかな松のえだから

わたくしのやさしいいもうとの

さいごのたべものをもらつていかう

わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ

みなれたちやわんのこの藍のもやうにも

もうけふおまへはわかれてしまふ

(Ora Orade Shitori egumo)

ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ

あぁあのとざされた病室の

くらいびやうぶやかやのなかに

やさしくあをじろく燃えてゐる

わたくしのけなげないもうとよ

この雪はどこをえらばうにも

あんまりどこもまつしろなのだ

あんなおそろしいみだれたそらから

このうつくしい雪がきたのだ

(うまれでくるたて

こんどはこたにわりやのごとばかりで

くるしまなあよにうまれてくる)

おまへがたべるこのふたわんのゆきに

わたくしはいまこころからいのる

どうかこれが天上のアイスクリームになつて

おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに

     わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

 

 

 

岩手県出身の長岡輝子さんやYoutubeで拝聴できる わがりえさんの朗読も心にひびきますが

生前の宮澤賢治の数少ない理解者だった草野心平さんの朗読を紹介します。

宮澤賢治の死後、遺稿が消失してしまうことを恐れた草野心平さんがすぐに花巻に向かったのは有名なお話です。

日本人の大恩人と言えます。

 

[youtube]http://youtu.be/JPF95YKig3A[/youtube]

 

「星の王子さま」 サン=テグジュペリ

実はサン=テグジュペリ「星の王子さま」を読んだことがありませんでした。

今まで誰とは言わず、確かにこの小説をすすめられてきています。

けれども、読み(め?)ませんでした。

 

「星の王子さま」というタイトルに妙なメルヘンチックな先入観を持っていたのでしょうか。

いいえ、「大人が読む子供向けの童話」というのも知っていましたし

実家の私の部屋の本棚にもきっとこの本が新品同然に折り癖もつかぬまま並んでいるはずです。

読みかけて…理解できずに挫折したというのが真実です。

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それがなぜか、先日ふとしたはずみで青空文庫で「あのときの王子くん」という邦訳を目にして、読みたいと思いました。

リンクを貼っておきますね。→ こちら

 

青空文庫というのはご存じのとおり、著作権の消滅した作品を集めて公開してくれているインターネットの図書館です。

「星の王子さま」は2005年1月に日本の著作権が失効しました。

それまで岩波書店が独占的に翻訳本を出版していたのが、2005年から2006年にかけて、空前の新訳ブーム・新刊ブームが巻き起こったそうです。

 

確かに、アマゾンで「サン=テグジュペリ」と検索すると数多くの訳本が並んでいるのにびっくりします。

「星の王子さま」というのは岩波書店の内藤濯(あろう)氏が1953年につけたタイトルらしく

原題の「Le Petit Prince」はもともと「小さな王子」という意味らしいのですね。

新訳の本のタイトルも、前の翻訳から自由な発想でつけられているのが多い気がします。

青空文庫の「あのときの王子くん」も、そうした翻訳者の信念に基づいたもののようです。

それだけ、この本が愛されているという証拠でもあるのでしょう。

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「星の王子さま」の感想を、ほかの本の感想のように書こうと思いました。

「子どもごころ」をキーワードにして…、うん、スナフキンの世界にも通じるかも知れない…

それで文章をまとめようと考えていました。

けれども、この本はすごく再読、再々読を促される本なんですね。

 

ヒツジやバラ、キツネ、そして、もちろん王子。

バオバブの木。

それら登場するモノたちが、どんなメッセージを発しているのか。

王子の星めぐりに、どんな意味があるのか。

ぼく(パイロット)と王子の絆についても。

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多くの皆さんがそうであるように、私もこの本にゆっくりと向き合いたいと思いました。

感想はもう少し読み込んでから書くことにします。

 

そのかわり、「星の王子さま」で恐らく最もよく知られている言葉を紹介します。

キツネの言葉です。

 

「とても簡単なことなんだ。心で見ないとよく見えない。大事なことは目には見えないってことさ。」

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沖縄が梅雨入り

昨日、5月5日に沖縄が梅雨に入ったとの報道がありました。

連休中に大雨(雷雨)が降り、各地の催し物に影響が出たのは残念です。

その慰めにもならないかも知れませんが、梅雨に入って良いことももちろんあります。

 

ダム貯水率ウォッチャーである佐村先生の影響ですが、私も沖縄県の水不足を心配しはじめていたところでした。

沖縄県企業局ホームページに「今日のダム貯水率」というサイトがあります。

下のグラフを見てもわかるように、実は今年平成26年度は平年平均値を下回ってきていたのです。5月5日発表のグラフです。

 

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それが5月5日の大雨のおかげで下のグラフになりました。今日のグラフです。平成26年の赤い線にご注目です。

 

5月6日のダム

 

ぴょこんと平年値を超えてくれました。

 

例年の4日早く梅雨入りになったそうですね。

ここで一気に貯水率をあげてもらって、台風頼みにしない水の量を確保したいものです。

透析に携わる者として、大前提の願いですね。

 

 

 

那覇16団 ベンチャー隊 本島1周自転車サイクリング

 

出発日が5月3日の朝でした。

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3泊4日をかけて、ベンチャー隊が自転車で本島1周を走破する計画です。

 

途中で各地の消防署や公民館などに立ち寄ることになっています。

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宿泊は野営。

公民館などの許可を得て、庭を借りてテントを張って体を休めます。

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ところで、昨日5月4日の夜から天気もぐずついてきました。

以前にも書きましたが、スカウトの活動に雨はつきものです。

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そなえよ つねに

 

今日、5月5日の午前8時には辺戸岬を越え、国頭地区行政事務組合消防本部に到着。 

ここで大雨に見舞われてしまいました。

予報ではこの先、ずっと大雨、あるいは雷雨のようです。

スカウト達もだいぶ悩んだようですが、安全を優先するということでいったん中止。

日をあらためてそこから再出発するということになりました。

 

自分たちで良い判断をしてくれたと思います。

 

ゆりの開花

「連休中に花が開くと思うので、できたら写真お願いします。」

スタッフが診察室にユリのつぼみの花瓶を置いてくれました。

「もちろんできたらでいいんですけど。」

そう託されたら、ミッション・コンプリートしたくなりますね。

 

書類チェックの仕事の合間に、ちらちらとユリを見ながら開花の様子を写真におさめました。

 

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やさしい色のユリの花です。

 

目の錯覚 「カフェの壁」

下の図をご覧ください。

カフェウォール4

 

 

 

黒と白のタイルは互い違いに傾いているように見えます。また、タイルがくさび形にも見えます。

なんとも落ち着かない、不思議な感覚になるのではないでしょうか。

実際には、平行に並べてありますし、タイルも長方形です。

「カフェの壁」と呼ばれる錯視現象ですね。

 

なぜ「カフェの壁」と呼ばれているかというと、オリジナルが実際のカフェの壁だったかららしいのですね。

こちら → Border locking and the Café Wall illusion 

 

コントラストというのは、周りの刺激によって強くも弱くもなるということの実例です。

こういうのって個人的に大好きです。