ボーイスカウト那覇16団 救急法の講習会

昨日は沖縄県立中部病院 救命救急センターの高良剛ロベルト先生にお願いして救急法の講習会をしてもらいました。

対象はボーイとベンチャーのスカウトたちです。

 

高良先生の講習は今回で2回目になります。

先生の説明は平易な言葉でとてもわかりやすく、スカウトたちにも好評です。

指導者たちも時々「へえ、なるほどぉ」という言葉が思わず出てくる大変ためになる講習でした。

 

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ひまわりになった水の女神 ギリシア神話から

 オウィディウス 変身物語

 

この本は、古代ローマの詩人 オウィディウスが著した書物です。

 

ギリシア神話の中で、変身を主要モチーフとする多くの物語が収載されています。

例えば、今日紹介するお話なども、ひまわりがなぜ太陽に向かって回るのかを説明する神話として有名です。

 

水の女神であるクリュティエは太陽神ヘリオスの恋人でした。

しかし、太陽神の心を長くとどめておくことはかないませんでした。

太陽神からクリュティエを忘れさせたのが、ペルシア王オルカモスの娘 絶世の美女であるレウコトエでした。

 

クリュティエは嫉妬に燃え狂います。

恋敵に対する怒りにあおられて、神との密通を言いふらし、ことさら悪く脚色して父親に告げたのでした。

厳格で気性の激しい父親は、情け容赦なく娘を深い穴に埋めて命を奪ってしまいます。

それを知った太陽神は、深い悲しみの底に沈むのでした。

 

クリュティエは恋の恨みを果たしたものの、太陽神の心を再び取り戻すことはできませんでした。

そればかりか、太陽神は彼女に近づこうともしません。

 

クリュティエは空の下で、夜も昼も、裸の地面に座り込んで、空を行く太陽の顔をいつまでも見つめていました。

東の空から西の空へ行く太陽へと自分の顔を向けているばかりだったのです。

とうとう、体が土にくっつき、体は痩せ細っていき、一輪の花になってしまいました。

 

花になった今でも愛おしい太陽神のほうばかりを向いているのは、愛だけは残っているのだと言います。

 

 

 

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尿検査 「亜硝酸塩」

病院でおこなった検査結果は、大切な記録として保管していてくださいね。

 

例えば、尿検査で「亜硝酸塩」という検査項目があるのをご存知でしょうか。

外来でよくある質問のひとつですので、この「亜硝酸塩」について説明したいと思います。

 

一般的に尿には「硝酸塩」という成分が含まれています。(誤字ではありません。亜硝酸塩ではなく硝酸塩です。)

硝酸塩というのは、自然界ではもともと土壌などに広く分布しています。

植物は養分として窒素(N)が必要で、そのために主に硝酸塩(NO3)という形で根っこから吸収しています。

硝酸塩は一般にホウレンソウやチンゲンサイなどの葉野菜に多く含まれる傾向にあります。

食物として野菜を食べると、体内に吸収された後、ほとんどは腎臓から尿として排出されます。

 

さて、腎臓で作られた尿はいったん膀胱にためられとどまります。

そこに大腸菌などの細菌が入り込むと、尿中の硝酸塩が化学変化を起こして亜硝酸塩になります。

ですから、尿検査で亜硝酸塩がある場合は、細菌感染、つまり尿路感染症を疑うことになります。

しかし、この検査は少々不確かなところがあって、感度は50%前後です。(特異度は90%前後)

 

まず、亜硝酸塩に変化するためには4時間以上が必要だとされています。

つまり膀胱に長く尿がとどまっていなくては十分に変化せず、偽陰性になる可能性が高くなります。

膀胱炎では膀胱刺激症状で尿の回数がどうしても多くなりますから、それだけでもなかなか難しいのです。

 

それから、硝酸塩を亜硝酸塩に還元する能力のある細菌は、種類が限られているということです。

大腸菌などは還元作用をもちますが、グラム陽性球菌や緑膿菌などは亜硝酸塩に還元する能力がありません。

けれども、初診の尿路感染症の原因菌はほとんどが大腸菌ですから、それを理解していればおおいに役に立ちます。

 

ついでに付け加えれば、細菌が尿中に存在することが、必ずしも尿路感染症とはいえないということは大切なポイントです。

 

この検査は試験紙ですぐに結果が出ること。

スクリーニングの方法として良い方法だと思います。

 

「はみだす力」

スプツニ子!さんの講演をpodcastで聞いたお話を以前にしました。→ こちら

 

本のタイトルの通り「はみだして」いて、とても刺激的な女性です。

 

 

この本には、はみだすヒントによって構成されています。

 

なぜ、「はみだす」のか。

 

私が最初に変身したいと思ったのは、どこにいても、誰といても、はみだしていたからだ。

枠に収まれずはみだしつづける自分を、いつも、もてあましていた。

だけど今、このはみだす力こそ、私をこれまで助けてきてくれた武器なんじゃないかと思うようになった。

 

彼女のありのままを飾ることなくつづった本だと思います。

 
私自身、ある方から言われたことがあるのを思い出しました。

「『変わってるね』と言われると嬉しいのは、心の中に『変わりたい願望』があるからじゃないか?」

自ら「変身願望」が宿っていると言う彼女に共感し、励まされるのは、そういうところなのかも知れません。

 

たとえば、このヒント。

「わからないもの」を受け入れる。

 

できあがったものなんて、思った以上に世の中にはないというのは私も実感することです。

それはどの分野の世界でも同じことなんだと思います。

頭と心を柔軟にして、わからないもの、新しいものに触れるチャンスを見逃さない。

 

この本には、はみだしていく「これから」がつまっています。

この本を必要としている人は、たくさんいそうです。

読んでいて元気になりました。

 

 

鳥のおしっこ

窒素代謝産物を捨てるために、尿をつくるお話をしました。

こちら →  「じん臓のしくみ 体の水分量を調整する方法」

 

尿をつくる目的のひとつは、老廃物である窒素代謝産物を体外に捨てることです。

哺乳類の場合は、窒素代謝産物は尿素ですが、鳥類は尿酸にして排出しています。

尿酸にする利点は、尿素が大量の水分を必要とするのに対して、尿酸はほとんど水に溶けないので水を必要としない点です。

鳥を飼ったことがある方ならおわかりでしょうが、鳥カゴの中が鳥のおしっこでびしょびしょになるというのはないですよね。

鳥の排泄物はほとんど水を含まないのです。

 

鳥が尿酸をあつかうことにしたのは、鳥が飛ぶことに関係しているとも言われています。

尿酸を排泄するのに水を飲む必要がないため、体重増加が避けられるので飛ぶのに有利だからです。

 

鳥の排泄物は白と黒のツートンカラーですね。

実はあの白いどろっとしたクリーム状のものが、尿酸を主成分とした尿です。

 

もうひとつ、尿酸をあつかうことの利点があります。

陸で生きるもので卵で生まれる生き物は、窒素代謝産物はほぼ尿酸なんです。

ですから、鳥類もそうですが、爬虫類もそうです。

というのは、卵の中で発育していくうちに生じてくる老廃物は、卵の殻を破るまではその中に蓄えなければなりません。

尿素のように水に溶ける物質だと、卵の中の老廃物の濃度が上昇してくることになります。

尿酸なら、水に溶けないのでその心配がないんですね。

 

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未熟なりに

「先生も癒されてください。」とスタッフに慰められてしまいました(笑)。

その日、イライラすることがあり、深く深く息を吐いて気を静めていたからです。

 

私の場合、イライラから抜け出せない時は、たいていが不安や恐れに直結しています。

その最たるものが、目の前で患者さんの状態が悪くなっていること。

 

しかし、医者がイライラして良いことなどひとつもないことは経験済みです。

チームワークを乱しているのは他ならぬ診療のリーダーであるべき医者だったりします。

 

原因が何であるのか。

取り組むべきことをはっきりさせる必要があります。

一瞬でも、外に向かう目を自分に向ける時間が必要です。

 

内側を正しく見つめることができますように。

 

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人助けすると風邪をひかない

面白い論文を教えていただきました。

日本抗加齢医学会雑誌 2014 Vol.10 No.2 83ページ 慶応大学教授 坪田一男先生のコラムです。

心理学者のバーバラ・フレドリクソン博士が発表した論文を紹介していました。

 

A functional genomic perspective on human well-being.

Fredrickson BL, et al : Proc Natl Acad Sci U S A. 2013 Aug 13;110(33):13684-9.

 

曰く、「人助けをしてハッピーな人は風邪をひきにくい。」

 

まず、幸せについて説明します。

幸せは大きく2種類に分類されるそうです。

 

1つ目は、Hedemic = 個人的快楽的幸せ

おいしいものを食べたり、面白い映画を観たり、楽しいところに遊びに行ったり。

こんな面白いことを経験するなんてオレは何て幸せなんだろうという感じです。

 

2つ目は、Eudaimonic = 社会的な幸せ

ボランティアや人助けなど、誰かのお役に立つような貢献をした時に感じる幸福感です。

人に親切にした時など、良い気分になりますよね。

 

実は、この二つの幸せには遺伝子の発現のしかたが違ってくることがわかったそうです。

個人的幸せと社会的幸せで、発現する遺伝子に違いがあるということ自体、にわかには信じられないことですが

面白いのは違いの出た遺伝子の内容です。

 

個人的幸せの場合は、炎症性のサイトカインがあがっていました。

社会的幸せの場合は、インターフェロンや抗体産生の遺伝子があがっていました。

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つまり、一方では炎症を促し、他方では炎症をおさえ抗体産生を促進させていたのです。

 

これは何を意味するのでしょうか。

社会貢献をし、人助けに精を出す人々は、多くの人と接触することになります。

そのため、ウイルス感染などから身を守るために抗体産生の遺伝子が発現するようになったのではないかという説です。

 

逆に個人的な幸せを求める人は、個人行動が主となってきます。

事故や怪我を負う確率も高くなってくるため、細菌感染から身を守るために炎症性サイトカインがあがっているのではないかというお話でした。

 

で、こういうことが言えないでしょうか。

ヒト様のために一生懸命に行動し幸せを感じる人は、自らの免疫をあげて風邪にかかるリスクを減らしている。

それも遺伝子のレベルで!

 

もし、それが本当ならとても面白いお話だと思いませんか?

風邪をひかないために、手洗い・うがいをしよう!というキャンペーンに加えて

風邪をひかないために、一日一善をしよう!というキャンペーンもありかも知れません。

 

 

 

 

 

沖縄県医師会医学会総会の特別講演

午前のプログラムの目玉は、何と言っても脳科学者 茂木健一郎さんの特別講演でした。

ユーモアを交えた講演は会場に笑いがあふれ、非常に興味深く拝聴させていただきました。

私の手元のメモにはいくつかの単語の走り書きが残っていますので、紹介しますね。

 

「ダニング・クルーガー効果」

簡単に言うと、素人はちょっとかじっただけで「それ」を分かったつもりになり、専門家は「それ」に対してあくまで謙虚であるということ。

だから「分かった、分かった」という人ほど、何も分かっちゃいない。

これには、なるほどとウチアタイしました。

wikipediaには、シェイクスピアも同様のことを書いていると紹介しています。

「愚者は自分を賢明だと考え、賢者は自分を愚かであると知っている。」

今は、ネットの時代ですから情報があふれ、素人は専門家に求めるものの質がちがってきていると茂木さんは指摘しました。

では、専門家である医者に対してはどうなのか?

専門知識は当然のこととして、それだけでなく人をトータルに見る「人間力」が求められているのだと思う。

当事者が深刻な事態になればなるほど、専門性には納得しない。

むしろ、その医師の「人」が問題になってくる、とおっしゃっていました。

 

「雑談力」

チェスやクイズなど、計算力の分野では当の昔に人間の能力を超えてしまったコンピューターですが

唯一、人間の脳に到底及ばないのが、この「雑談すること」らしいです。

「雑談」は「毛づくろい」の役割を担い、社会性を発揮するもの。

人の脳は雑談する時、最も高次に機能している状態ということでした。

これには、とても大きなヒントがある気がします。

 

ほかに「哲学的ゾンビ問題」や「オタク文化のススメ」など、人の不思議さをたっぷりと教えてもらいました。

 

医師会の講演としても、最高に良かったです。

 

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「六月の雨」

六月になりました。

梅雨が明けるのは、もう少し先のようです。

 

今日は昔の話をします。

中学の頃、クラスメイトが「究極」って知ってる?と訊いてきました。

もちろん、知っていました。

私は浦添中学校に通っていましたから、ほぼ彼らの地元です。

彼らが高校3年生の時に全国大会でグランプリを獲得。

記録を見ると1981年にメジャーデビューとありますから、ちょうど私が中学3年生の頃ですね。

 

「究極」は伝説のフォークデュオとして、私たち世代の人間の胸の奥に深く刻み込まれています。

いまだに6月になると、沖縄ではこの曲がラジオで流れてくるのですよ。

あれから30年以上が経っているのにも関わらず。

 

 

 

 

 

 

 

「パンドラの箱」 ギリシア神話から

パンドラは、ギリシア神話の中で人類最初の女性として描かれています。

つまり、それ以前の人類は男女の区別を知らずに男だけで暮らしていたのでした。

 

プロメテウスがことあるごとにゼウスに反抗し、人類に味方したので、怒ったゼウスは人々に災いをもたらすことにしました。

ゼウスはまず鍛冶神ヘファイストスに美しい女神をかたどった乙女の体を泥から作らせます。

そして機織りの女神アテナがこの体に生命と衣服(機織りの技術)を与え

美と愛の女神アフロディテは、美を与えました。

そして最後にゼウスはヘルメスに命じ、狡猾と裏切りを与えたのです。

 

こうしてできた人間の女性は、パンドラと名付けられました。

古代ギリシア語で、パンは「すべて」、ドラは「贈り物」という意味でした。

 

ゼウスの命を受けて、ヘルメスはプロメテウスの弟エピメテウスにパンドラを連れて行きました。

「あらかじめ知る者」としての意味を持つプロメテウスに対し、エピメテウスは「あとから知る者」を意味します。

兄に比べ愚か者であるエピメテウスは「ゼウスからの贈り物は決して受け取ってはならない」といった兄の忠告も聞かず、パンドラを自分の妻にしてしまいました。

 

やがて、パンドラが開けてはならない箱を開いて、人間の苦しみや病気、悩み、あらゆる種類の災いをまき散らしてしまいます。

そのため人間はいつ外から襲ってくるかわからない災いに絶えず怯えて暮らさなければならなくなりました。

パンドラがあわてて箱を閉めた時、一つだけ残っているものがありました。

それは希望でした。

そのおかげで人間はどんなに苦しめられても、希望を持って生きられることになったのでした。

 

下の絵はJohn William Waterhouseが描いたパンドラです。

数あるパンドラの絵の中で、彼が描くパンドラは最も彼女の好奇心を描き出しているのではないかと思います。

 

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