目の前の一段

 

キング牧師が、次のような言葉を語られたそうです。

 

「長い階段を昇る時、その階段の全てが見えなくても良いのです。

大事なのは、目の前にある一段を昇ることです。」

 

先のことが想像できず希望が持てない、途方に暮れて立ちすくむ。絶望の中にいて、そこから抜け出せないと嘆くとき。

何から手をつけたらいいのかわからない、いや、そんなことより、すでに何もしたくないとき。

「目の前の一段を昇ること」

片方の足を一段、運んで、体をぐいっとあげて、反対側の足を、その一段上に運ぶ。

これを無心に繰り返していく。

将来の不安とか、人の視線や評価とか、そんなことも忘れて、足を運ぶことだけを繰り返す。

それが必要な時が、人にはあります。

呼吸は、もっと単純ですが、はるかに重要です。

息を吸って吐く。また、吸って吐く。

その一息、一息。たった一息をおろそかにするだけで、人は苦しくなります。

吸ったあと、吐かないということは(あるいは、吐いたあと、吸わないということは)命が途絶えてしまうということです。

単純なリズムに、私たちは身を委ねて生きています。

「一息一息を呼吸すること」「目の前の一段を昇ること」

 

今年もあと5日になりました。

いろいろなことが差し迫ってくる時期だと思います。

焦りが生じ、心に余裕がなくなっていると感じたときは、上のキング牧師の言葉を思い出してください。

 

 

「インフルエンザ治療指針」

 

日本小児科学会のサイトで、新興・再興感染症対策小委員会、予防接種・感染症小委員会による、「2018/2019シーズンのインフルエンザ治療指針」が示されています。

私は小児科領域の患者さんを診療していませんが、成人の診療に関しても、この治療指針は非常に参考になるものです。

詳しくはこちら → 「2018/2019シーズンのインフルエンザ治療指針」

 

まず、以下の2つの対策を徹底することの重要性を強調しています。

飛沫感染対策:咳エチケット(有症者自身がマスクを着用し、席をする際にはティッシュやハンカチで口を覆う等の対応を行うこと)

接触感染対策:手洗い等の手指衛生の徹底

 

一般診療のなかで最近ふと感じるのは、一般の方の中に(いつの頃からなのかわかりませんが)インフルエンザにかかったらインフルエンザの薬を飲まないと治らないと思っている方が意外に多くなっているということです。

抗インフルエンザ薬は、有熱期間の短縮(熱があがるのが短くなる)や重症化予防効果に対して有効であるとわかっていますが、基礎疾患のない多くの人に関しては自然に軽快していくため、必ず飲まなければならないものではありません。

この「治療指針」にも、「治療対象について」で示されています。

1)幼児や基礎疾患があり、インフルエンザ重症化リスクが高い患者や呼吸器症状が強い患者には投与が推奨される。

2)発症後48時間以内の使用が原則であるが、重症化のリスクが高く症状が千円する場合は発症後48時間以上経過していても投与を考慮する。

3)基礎疾患を有さない患者であっても、症状出現から48時間以内にインフルエンザと診断された場合は各意志の判断で投与を考慮する。

4)一方で、多くは自然軽快する疾患でもあり、抗インフルエンザ薬は必須ではない。

 

ここでは、4)の項目を強調しておきます。

 

ところで、抗インフルエンザ薬は、現在5種類あります。

2018年2月から新しく承認を受けているゾフルーザという薬がありますが、新しい作用機序の薬で、具体的には1回の服用で治療が済むという特徴があります。

この「治療指針」では「同薬の使用については当委員会では十分なデータを持たず、現時点では検討中である」という姿勢を示しています。

私も、同様の意見です。

今後、データが明らかになってくるまでは、慎重に対応していきたいと思っています。

 

 

「琉大ミュージカル20周年記念公演」

 

昨日の夜は「琉大ミュージカル20周年記念公演」を観てきました。

 

 

素晴らしいことに、20周年を迎えるのですね。

サポーターを自認する私にとっても、大変うれしいことです。

おめでとうございます。

 

琉大ミュージカル(RM)がどんな青写真として描かれ、どんな意志力によって形つくられていったのか。

原点に立ち戻る、そんな大切なテーマをわかりやすく、楽しく紐解いてくれたミュージカルでした。

 

代表の服部洋一先生(琉球大学教育学部教授)の高校時代の原体験が、今の学生さんたちの活動に繋がっていったのだということ。

世代を越えた情熱に、素直に感動しました。

 

20年間の今までのミュージカルの名シーンが織り込まれていくあたりも、「20周年」を記念するにふさわしい贅沢な公演だったと思います。

 

 

元気で真剣に、キラキラと輝いている若者たちの姿を観ていると、やはりこちらも元気をもらいますね。

 

 

 

年末年始の外来診療のお知らせ

 

クリニックの忘年会も終わり、いよいよ1年が暮れるんだなという実感が湧いてきました。

冬至の日の忘年会で、半袖のかりゆしウエアを着ていくという気候のアンバランスさが妙でしたが、「あの年は暑かった!」と後の思い出話にあがるかも知れません。

今年1年間は、私自身「最低の運勢」ということで、わりと過ごしやすかったのですが(悪いのはすべて運勢のせいにできましたから)、なんとか事故やケガ、病気もなく、年を越せそうでホッとしています。

これも、苦しいことや楽しいこと、いろいろなことを一緒に経験し支えてくれた、スタッフみんなの協力と明るい笑顔のおかげだと感謝いっぱいです。

 

さて、当院の年末・年始の外来診療のお知らせをいたします。

12月30日(日)から1月3日(木)まで休診。1月4日(金)から診療開始します。

12月29日は土曜日ですので、通常通り午前のみの診療、午後からは休診です。

 

今年は透析日の曜日の変更はありませんね。

オーバーナイト透析も12月31日(月)にそのまま行いますので、よろしくお願いします。

 

 

トゥンジージューシー

 

今日は冬至ですね。

沖縄ではトゥンジー・ビーサーと言って、冬至の冷え込みを表す言葉もあるのですが、今年はそんな感じではありませんでした。

太陽が差し込んできます。もしかして各地で夏日を記録しているかも知れません。

ただし、季節の節目は節目ですから、実家では「トゥンジー・ジューシー」を準備してくれていて、ありがたくいただきました。

 

(そういえば…)

昨年の今頃も、2年前の今頃も、さらには4年前の今頃も、しっかりと「トゥンジー・ジューシー」と「トゥンジー・ビーサー」の話題の投稿をしていました。

昨年のトゥンジーは、トゥンジー・ビーサーにぴったりの冷え込みだったようで、暦通りの気候にほっとしていたようです。

 

暑かったり、寒かったりの気候が続きますね。

体調管理に難しい季節です。風邪をひいて受診する方も増えてきました。

無理をせず、手洗いやうがいを習慣づけて、予防していきましょう。

 

 

筋トレ・ブーム?

「筋トレは最強のソリューションである」をきっかけに、筋トレがマイブームになりかかっています。

「筋トレ…」についてはこち → 「筋トレが最強のソリューションである

オーディオブックを繰り返し聞いていたら、ついに筋トレをしたくなってしまいました。

奥にしまっていたダンベルを探して、引っ張り出してきました。

(これを「洗脳」と言わずになんといいましょう。)

本文にあるように、ダンベルに話しかけたりはしませんでしたが、ダンベルをつかって、スクワットはしました。

ちょうどランナー向けの雑誌にスクワットの特集があって「50歳を過ぎたら全員スクワットすべき!」などとも主張しているものですから、すっかりその気になってのことです。

たいして回数もしていないのに、やっているそばから筋肉がパンパンになっていますから、筋力が弱いのがわかります。(ちょっとショックです。)

3日坊主にならなければ、鍛えがいがあります(笑)。

今週のインフルエンザ流行状況

外来では、この1週間に約2人ほどインフルエンザA型に罹患した方の受診がありました。

今まではインフルエンザ抗原迅速検査を行っても、なかなか陽性になる方はいなかったのですが、症状と検査結果が一致するような方が2人続きました。

沖縄県全体の定点あたり報告数は2018年第50週(12/10~12/16)の時点で、3.00人となっています。

インフルエンザ注意報の発令基準が10人以上ですから、まだ流行期に入ったという印象はありません。

けれども、例年のグラフと比較してみても、そろそろ上昇カーブを迎える時期にさしかかってきています。

スパンが広すぎてわかりにくいのですが、直近5週の年齢別インフルエンザ報告数のグラフを見ると49週と50週では各年齢層で増加しているのがわかります。

インフルエンザワクチンの予防接種がまだの方はお急ぎください。

みんなで予防する意識が大切です。

笑いはエネルギー

昨日の夜は〆切りのある仕事があって、遅くまでパソコンを相手にデスクワークしなければなりませんでした。


広い場所だったので照明が向こう側まで届かず、隅などはどんよりと寂しい感じです。


(ここは明るいBGMを流そう!)


イヤホンをiPhoneにつなげて聞いていたのですが、気分が乗りません。


洋楽→邦楽→JAZZ→ロック→アニソン…


順ぐりにプレイリストを巡ってみましたが、さっきから探してばかりいます。費やしている時間がもったいないぐらいに過ぎていきます。


それならと、ちょっと趣向を変えて、LIVEで見れなかった「M1グランプリ」を流してみました。


以前には落語を流しながら作業をしたことがありますから、私にとっては珍しくないことです。


(もしかしたら、笑いが足りないのかも知れない)


なんとなくそう思ったのかも知れません。


しかし!(というか、冷静に考えれば当然なのですが)これが間違いのもとでした。


聞き耳を立てているだけでは漫才師のアクションや表情がわからず、iPhoneの画面をチラ見しているだけでは満足できず、しまいには作業そっちのけで集中してしまいました。


いやあ、漫才は面白い。


「THE MANZAI」も面白いのですが、M1はスポーツ観戦をしているように身を乗り出して見てしまいます。


チュートリアルやサンドウィッチマンが優勝した時のような神がかった爆発的な波は感じませんでしたが、それでも独特の高揚感に包まれていました。


最後まで見てしまいましたが、でも、良かったのです。


その後、気味が悪いほどの上機嫌で、ひとりで仕事をこなしましたから(笑)。


「笑い」はエネルギーになりますね。

夢見ることができる人


ジョン・F・ケネディ元大統領の言葉だそうです。

「私たちは、今までなかったものを

夢見ることができる人々を必要している。」

今、まさに世の中の人々は「理想疲れ」しているのだと言われます。

「理想の旗」を掲げて世の中を変えようとしたけれど、なかなか前に進まないしうまくいかなかった。

その反動が今の世の中の動きだというのです。

ニュースを見ていると、確かにそうかもしれないと思うことが続いています。

そして、理想や夢を語りにくい世の中になってきました。

だからこそ、「夢見ることができる人々」というのは、今の世の中こそ必要だと思います。

大人こそ夢を見るべきなんでしょうね。

「ブラウン神父の童心」

中学生の頃に読んだつもりでいて「懐かしいな」と思って手にしたのですが、読んでみて一向に懐かしい感じがせず、新鮮な感じがしました。

ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)

忘却の果ての再会の感覚なのか、実は読んだと思っていたのは勘違いだったのか、冷静に分析すると、当時私が読んでいたのは、恐らくジュニア版というか少年向けに編集されていたものだったのかも知れません。

全く「初めて」とするには「ブラウン神父」という呼び名に、どこか贔屓を応援するような感覚が残っていますし、短編の小気味よいリズムには、やはり懐かしい感じがつきまとっているからです。

けれども、内容はというと、全く忘れていました。

読むと歴史が感じられます。間違いなく古典です。

初登場が1910年の「青い十字架」

ちなみにシャーロック・ホームズの初登場が1887年の「緋色の研究」ですから、ホームズの方が古いのですが、ホームズはとにかく息が長く、1927年の「ショスコム荘」まで活躍していますから同年代とも言えます。

捜査の方法や手段などは、シャーロック・ホームズが卓越した観察力と物的証拠による推理の構築で、現在の科学的捜査の礎をなしたといえるほどであるのに対して、ブラウン神父は直感と洞察力、そして、神父という職業柄、様々な犯罪者の告解を聞き取っているため、あらゆる犯行手口に通じているという「知恵」を駆使します。

「なぜ神父であるあなたがそのようなことをご存知なのですか?」

その知識の量は、相手を驚愕させることがしばしばです。

名探偵が神父であるという必然が、この「ブラウン神父」の世界では、あちこちで披露され、読者を魅了していきます。

読み進むうちに、段々と思い出してきました。

私の好きな「ブラウン神父」です。