4月になりました

 

3月が別れと旅立ちの月なら、4月は出会いとスタートの月ですね。

さくだ内科クリニックにも、今日から新しいスタッフが入職してきます。

(エイプリルフールですが、本当ですっ!)

 

この出会いに、どんな化学変化が起きてくるのか、とても楽しみにしています。

一方で、いつものように、入職してくるスタッフ以上に私の方が緊張しまくりの1日になりそうです(笑)。

 

ようこそ。クリニックへ。

これからいろいろなことを経験し、成長していきたいですね。

「小さくても本物」のクリニックを一緒につくっていきましょう。

大切なのは「チームワーク」です!

 

よろしくお願いします。

 

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折りたたみ自転車

 

日ごろの運動不足は仕方がないものとして過ごしてきましたが

患者さんに「できるだけ日常生活に運動を取り入れる工夫をしましょう。」と言ってきた手前

さすがに何もしないのはマズい感じになってきました。

肥大化は見た目ですぐにわかってしまいますから。

 

ちょうど高校生の息子がベンチャー・スカウトの活動で

3泊4日をかけて自転車で本島1周をする計画があり、そのトレーニングに便乗することにしました。

もちろん、私は参加しません。

練習をちょっとだけ一緒にするというだけです。

 

自転車と私はなかなかイメージを結びつけるのが難しいかも知れませんが

以前に公立久米島病院に業務応援のために出向いたときに

折りたたみ自転車を持っていって、休みの日にはぶらりと島1周をサイクリングしたことがあるのですよ(笑)。

(すみません。この程度が私の精一杯の武勇伝?です。)

 

確かにそれ以来、その自転車はほとんど持ち主を乗せることもなく

自宅の2階の1室でアウトドアの道具たちと一緒に長い間眠っていたのですが。

 

昨日、日曜日。

眠れる愛車 Peugeot Pacific-18(いわゆるBD-1)を2階から降ろしました。

タイヤもホイールから外れるほどぺしゃんこだったのですが

空気を入れてみるとちゃんと乗れることに一安心です。

 

これから自転車通勤をしてみようかな?

とは言っても、いくつかの急坂道が難所で、やる前から怖気づいているのが正直なところです。

まず休みの日に試しにやってみます。

 

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「ムツゴロウの野性教育」

 

ムツゴロウさんの「教育」シリーズ3部作の第1作です。

この「野性教育」の後に「人間教育」と「自然教育」が続きます。

3冊をまとめて読んだ記憶がありますから、「自然教育」の初版の年、1980年に手にしました。

いつの間にか大昔のことなんですね。ついこの間のことだと思っていました(笑)。

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30年以上も前の本ですが、この本が提議している課題は今も変わらずにここにあります。

人が新しいものをつくること、新しい道を切り開くにはどうしたらよいのか。

ここでは、ムツゴロウさんの持論が爽快に述べられていきます。

曰く「人間の底力をつけるべし」

未知のものが出てくるまで、じっと辛抱できる精神力 ―。

頑張りがきく体力 ―。

 

中学の頃にムツゴロウさんに憧れていた私は、その猛烈さを真似したくて

この本に書かれているような勉強法を試したことがあります。

とても無理でしたが(笑)

 

ムツゴロウさんは、私にとって今も憧れの鉄人です。

 

マンリョウの木の実

 

実家に寄った時のこと。

庭に咲いた花木の写真を撮っていると、父が「面白いものがあるよ。」と言って、家の裏に誘ってくれました。

 

見ると防護ネットの中にかわいらしい赤い木の実をつけた小さな木があります。

「鳥が運んできたんだと思うんだけど、いつの間にかこの木が生えてきてね。」

去年は何も対策を講じなかったので、鳥に食べられてすぐになくなってしまったということでした。

今年はその対策をたててくれたおかげで、写真におさめることができました。

 

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調べてみると、「マンリョウ」というそうですね。

マンリョウとは「万両」のこと。万両の価値があるというのが名前の由来らしいです

冬に美しい赤い実をつけるので、縁起担ぎや感謝の気持ちとして栽培されていたそうです。

 

「おいしそうだけど、食べられないんだろうね。」

「食べたことはないけどね。」と父。

食べられるものだったら、とっくに食卓のデザートに出ていそうな鮮やかさです。

 

この季節に良いものを見せてもらいました。

 

「この間、テレビでやってた…」

 

テレビやラジオ、新聞の影響力はすごいものです。

それが健康や医療関係になると、さらに大きいですね。

 

「先生、この間テレビでやってたんだけど、この薬…」

Hさんがバッグの中から出してきた一片のメモ書き。

「この薬がいいんだって。」

ほほうとつぶやきながら、それを手にすると薬の名前が書いてありました。

あれ?

「Hさん、この薬は前に処方したけど『自分には合わない』って飲まなかった薬だよ。」

「え?そうだった?」

「2日もたたずに止めたって言ってたさあ。」

「テレビでは、よく効くって言ってたんだよねえ。先生、また処方して。」

 

病気や薬に関する啓発は、テレビ番組で特集を組んでもらった方が格段にいいのでしょうね。

と嘆くよりも、医者の方も少し考える必要がありそうです。

薬の必要性や有用性を、テレビのように時間をかけて説明したかというとそうでもないのですよね。

その努力をはらったかと言うと、そうでない気がします。

 

医療分野のテレビ番組をビデオに録画して待合室で流してみるのも良いのかも知れませんね。

 

 

「心理学的にありえない」

以前に紹介した「数学的にありえない」の作者アダム・ファウアーの2作目の作品です。

 

先日の出張の時の、飛行機のお伴に選んだのがこの本でした。

いつものように那覇空港の書店で、選ぶ間もなくあわてて手にしたのですが、大正解でした。

 

 心理学的にありえない  アダム ファウアー 著、 矢口 誠 翻訳

 

前作と同様、最後の最後まで「真の力」を発揮しない(できない?)主人公のもどかしさや

これでもかと展開していく「最悪な事態」の数々。

あちらこちらに張りめぐされた伏線と、それが複雑な因果となって人間関係に強烈な説得力を生み出していく。

(エピローグを読んだとき、すべてが氷解します。)

そして、そのスピード感がたまらない作品です。

 

この作品が取り上げるテーマは「エンパシー」

日本語に訳すると 「共感力」や「感情移入力」と言われる能力です。

例えば、ほかの人が気づかない空気をいちはやく感じ取ったり、異常なほど同調してしまう人がいますね。

世間一般では人柄や性格などで片づけられてしまうこの能力が、人の心を操るほどのサイキック・パワーとして身に着けていたとしたら。

そして、その能力を持った人間が、憎悪の塊として世界と対峙していたとしたら。

 

物語の疾走感がとても面白いのです。

読み終えてすぐに、「この作者の作品をもっと読みたい!」と思わせる面白さです。

おすすめです。

 

 

スプツニ子!

 

その奇抜な名前を見つけたのは、iTunesを開いてpodcast「ビデオ」のカテゴリーでした。

fmfestival

FM Festival 「未来授業」

~明日の日本人たちへ~ 「ニッポンの転換点・未来を創る」と銘打たれた企画です。

この画面で颯爽と立っているのが、スプツニ子さん。アーティスト。

 

彼女の言葉にはエネルギーにあふれていて、聞いていてワクワクしました。

既成のものを打ち破る人に共通した、「面白いもの」を求めていくテンションを彼女はまとっていました。

アーティストの仕事は人の日常を揺さぶることなのかも知れないと彼女は言います。

世界は人の発想から生まれたもの。

ならば人の発想を変えれば、世界を変えることができる。

アートで世界を動かせることができるかも知れないと。

 

すっかりファンになってしまいました。

今度、彼女が書いた本を読んでみようと思います。

 

 

 

咳止めと便秘

 

最近は「咳が止まらない」という訴えの患者さんが多く受診するようになってきました。

季節の変わり目に、やはり体調を崩してしまう方が多いように感じます。

「一番きついのは何ですか。」

「この咳をとにかく何とかしてほしいです。」

痰はさほどでもなくても、一度咳をしだすと発作的にずっと続く咳はきついものです。

中には夜中に咳が出始めて、睡眠を妨げることもあります。

十分な休養がとれないのは、体調をさらに崩してしまいます。

 

長く続く咳は、その原因を突き止めなければなりません。

症状は大切な病気のサインですから、ただ単に症状にふたをするようなことはしません。

肺炎はもちろん、肺結核など見落としたくない病気もあります。

大きな病気がないことを前提に、症状をやわらげる方法を探ります。

 

痰が多くからむのでしたら、去痰薬の方が良いことがあります。

気道粘膜にこびりついた固い痰を、柔らかくして出しやすくしてくれます。

それだけで楽になることがあります。

 

そうでない時は、積極的に咳止めを処方します。

咳が続くだけで体力を消耗しますし、十分に休養をとってもらうのが目的です。

 

咳止めの副作用を理解してほしいと、診察の時に少し時間をとって説明しています。

代表的な咳止めは「リン酸コデイン」という成分が含まれているものが多いです。

これは延髄にある咳嗽中枢に作用して咳反射を抑えてくれる成分です。

ところが、その成分は腸管の動きも止めてしまうのです。

 

咳止めを飲んで、時にお腹がはったり便秘になったりするのは、そういう理由があります。

「お腹の調子まで悪くなってしまった。」と、誤解してあわてることがないように

用法用量を守って内服してくださいね。

 

 

「頭が下がる」か「頭が上がらない」か

 

何でもない話です。

「頭が下がる」と「頭が上がらない」の2つの言葉。

この2つって、まったく違う言葉だったのですね。

(「当たり前でしょ」と思われる方は、今日の投稿はスルーした方が良さそうです(笑)。)

 

頭部の位置は結局同じ低い位置にあるのですが、その過程が違うのでした。

「頭が下がる」というのは、元々頭が高く上がっている状態から低く下がっていく。

ちょうどお辞儀をするような動作でしょう。

「頭が上がらない」は、元々が頭が低い状態がやはり上がらず低い状態のまま。

時代劇でお殿様の前でひれ伏す町民が、過ぎ去るまで決して頭を上げてはいけないような感じですね。

頭が同じ低い状態にあるのだけれど、その位置にある過程が大切だったのですね。

 

だから、「頭が下がる」という意味は、「敬服する」「感服する」

→ 「彼の努力には頭が下がる」

 

「頭が上がらない」は、「相手に引け目や権力を感じて対等な関係に立てない。」

→ 「助けてもらったあの人には、今でも頭が上がらない」

 

 

振り返ってみると、日常会話の中で何気なく間違った使い方をしていたかも?

 

 

映画 「マザー・テレサ」

 

マザー・テレサのドキュメント映画を何本か手元に置いていて、時々見ます。

それらとは違って、オリビア・ハッセーがマザー・テレサの生涯を演じた映画です。

 

 

オリビアのマザーへの憧憬が痛いほど伝わってきます。

演技を超えて、マザーが何を感じ、何を思い、何を悲しんだのか

まさしく「降りてきた」感覚を体現しているようです。

 

いつの間にか、オリビアがマザーに見えてしまうから不思議です。

 

ゆるぎないと自分では思っていても、人間って弱いものですね。

基盤が危うくなったなと感じた時に、こういうビデオを見て態勢を整えるのです。

 

 

[youtube]http://youtu.be/9lhbG__pKR0[/youtube]