俳句について

以前に紹介した小林凛君の書籍「ランドセル俳人の五・七・五 いじめられ行きたし行けぬ春の雨–11歳、不登校の少年。生きる希望は俳句を詠むこと。」に触発されて、自分も俳句を詠みたくなりました。 

ところが、私にとって俳句と言えば小学校だか中学校の国語の時間に教わったことがすべてです。

「季語」はともかく、「切れ」とか「切字」とかさっぱりわからないので、教科書が欲しくなりました。

 

さっそく本屋に行って店員さんに事情を話して、すすめてもらいました。

普段なら、本屋で店員さんにアドバイスを求めるということはしないのです。

自分で見つけるのも出会いだと思っていて、時間がかかっても自分で探すのが信条なのですが

今回は勝手が違うのはわかっていますから、素直にアドバイスを求めました。

それがこの本でした。

 一億人の俳句入門 長谷川 櫂著

 

実は俳句と言えば中部病院の勤務医時代、私の外来にとても素敵な女性との出会いがありました。

その方の趣味も俳句でした。

年齢が90歳を超えていましたが、なおも創作意欲が旺盛で若々しい方でした。

 

ある日、その方が照れたようにある全国向けの俳句雑誌を持参してくれました。

「お正月の企画で長寿者の特集があったんですけど、そこに私の俳句が選ばれたんですよ。」

ご自身の俳句が載っているページを開けて見せてくれました。

「うわあ、良かったですね!素晴らしい!おめでとうございます。全国雑誌ですよね。すごいですねえ。」

「それがね。先生。おかしいんですよ。」

「どうしました?」

「選ばれた作者の中で、なんと私、最年少。」

そう言って、おほほと笑う笑顔がいたずらっぽくて素敵でした。

「最年少ですかあ!」

 

俳句って、こんなにも素晴らしく、きっと日本人を支えてくれるものに違いない。

私にとって、その時から俳句とはそういうイメージがあります。

 

心が動くたびに俳句が詠めたら、素敵だろうなあ。

 

休診のお知らせ:6月13日&14日

今日は外来の休診のお知らせです。

 

6月13日(金)と14日(土)は、第59回日本透析医学会学術集会・総会への参加のために外来を休診させていただきます。

透析は代診医を依頼しており、通常通り行います。

ご不便をおかけしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

 

休診のお知らせ

猫の勇気と正義感

 

うちのクリニックには猫好きが多く、実際に猫を飼っているスタッフが多いです。

 

ある朝のクッシュボール・ミーティングで

「昨日、テレビのニュースでやっていたもので、子供を襲った犬を見事に撃退して、子供を救い出した猫が紹介されていて…。」

という報告がありました。

 

私にとって猫は、あくまでも孤高で勝手気ままというイメージです。

その猫が、自分の身を挺して子供を救ったという話に、想像ができませんでした。

 

百聞は一見にしかず。

で、探してみました。

確かに、この猫、エライです。びっくりしました。

動画の最後の方には生々しい傷の映像もあり、閲覧注意です。

 

 

[youtube]http://youtu.be/C-Opm9b2WDk[/youtube]

即席のみそ汁

クリニックのスタッフルームには沖縄ではあまりお目にかかれないものが置いてあります。

私のお気に入りで、とても重宝しているものです。

DSC_0652

顆粒状になったおみそ汁。

スプーン一杯をお椀に入れて、お湯でかきまぜればOK

ネーミングが良いです。

ひい、ふう、みそ汁

 

昼食にお弁当と一緒にこれを入れて飲むのが最高です。

発明してくれた方に、ありがとう!

 

 

「ガリガリ君リッチ」シリーズ

実は、私は「ガリガリ君リッチ」シリーズを食べたことがありません。

けれども、その盛り上がりようは、いつも目の当たりにしています(笑)。

 

スタッフの一人が、その状況を熱く語ってくれました。

コンビニでその姿を見つけた時の驚愕。その後に押し寄せた感動。

そして、買うべきか買わざるべきかの葛藤。逡巡。

味についての推察。あるいは想像。

気を静めるために、一度店内をゆっくりと1周して、再び「ガリガリ君」のもとへ。

そこで立ち尽くすこと15分間。

 

「買うべきか、買わざるべきか。」

彼女の中で自問の時間が続くのです。

 

「で、買ったの?」と私。

「そりゃあ、買いましたよ。勇気を振りしぼって。」

「どうだった?」

「わたし、後悔してませんっ!」

 

この盛り上がり方は尋常じゃないですよね(笑)。

でも、見ていて楽しいです。

願わくば、さらにシリーズが増えることを。

期待しています。

 

画像は赤城乳業株式会社のホームページから。

garigari

 

 

 

 

「無の境地」

先日、娘が黒色のペンを持ち出してきて、白い紙に何やら模様を描いていました。

何とかっていう模様で、これがどこそこかで流行っているのだそうです。

 

間もなくして、完成品を見せてくれました。

 

写真 3

 

その晩、娘は次の作品に取り掛かりました。

それが、これ。

約2時間ぐらいかかったと言っていました。

写真 2

 

こういう模様は、最終的にどんな模様に発展していくのかわからないところが面白いのですよね。

描いている最中はまさしく「無の境地」

 

満足げな娘のドヤ顔が印象的でした。

 

 

 

500日目

このブログは2012年末から始めました。

ある願掛けのために毎日更新することを目標にしてきました。

数えたら、今日で500日目になります。

(沖縄本土復帰記念の5月15日に500日目になるなんて、なんてタイミングの良いことでしょう!)

 

250日目の時にも、同じような内容の文章を投稿しましたが、読んでいただいている方がいることが本当にありがたいです。

ある方が、「先生のブログ、全部制覇しましたよ。」と報告してくれたことがありました。

「ええ!? 制覇するものなの?」とウケてしまいました。

確かにあっちこっちに話が飛びますし、そんな感じになるのかも知れませんね(笑)。

 

それと同時に、その方の貴重な時間を割いてしまったこと、本当に申し訳ない気持ちになります。

ありがとうと、ごめんなさいを同時に言いたくなります。

 

ごめんなさいついでに。

実はまだ願掛けの途中なのです。

そう。まだ続けるつもりでいます。

どうか、これからもよろしくお付き合いください。

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます。

皆さんそれぞれが良い1日でありますように

 

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「おおきなかぶ」

今年、大学生になった娘が小学1年のときの「こくご」の教科書。

なぜか院長室の本棚に置いてあります。

何気なくぱらぱらとめくってみたら、そこにロシア民話の「おおきなかぶ」が載っていました。

 

「おおきなかぶ」は、佐藤忠良さんのイラストで広く親しまれている絵本が有名ですね。

 

幼い頃に、友だちの間で流行った笑い話があったなあと懐かしく思いながら、教科書の挿絵を見てみると

「ありゃ。この本もそうなんだ。」

そのイラストにちょっとした秘密を見つけた気持ちになって嬉しくなってしまいました。

 

もしかしたら、このイラストレーターさんも佐藤さんのイラストに敬意を表して、このような表現にしたのかも知れませんね。

 

ookinakabu 

 

もうお気づきでしょうか。

これでは、どんなにおじいさんが力持ちだとしてもかぶはぬけることはありません。

おじいさんの両足がかぶにのっかってしまっているからです。

これでは抜くどころか、葉っぱのついた茎ごとちぎれてしまいますね。

 

ということを、ひまを持て余していた佐久田たちは友だちと大発見をしたかのようにはしゃいでいました。

子どもって、主旨と違うところで盛り上がるものです。

「けれども、かぶは ぬけません」じゃなくて、「これでは、かぶは ぬけません」だよなあ、ぐらいは言っていたような気もします。

絵本の方も、同じ足の配置になっているんですよ。

 

 

五月病?

スタッフが、「先生、今日は元気ないですね。」と指摘しました。

「え?わかった?」

私の方も否定しません。

「それは、わかりますよ。」

「そうなんだよね。なんか知らんけど、テンションがあがらないんだよ。自分で元気ないってわかるんだけど。」

「いつもと違うからどうしたのかなあって思って。」

「機嫌が悪いわけじゃないよ。」

「そうですよね。」

「あ。これってもしかして五月病かな?」

「新入りじゃないから、先生は五月病じゃないって師長が言ってました。」

「そうかなあ。五月病のような気がするんだけど。」

 

まあ、いつも明るくできるわけではないのです。

潮の満ち引きのように人間もまた自然のリズムを体内に宿しているということにして。

そういうリズムに身をゆだねるのも、また良しとしましょう。

 

それにしても、スタッフはよく見てるなあ(笑)。

やっぱり「みる」(視る・診る・看る・観る)ことが身についている人種(職業)ですね。

それは別にして嬉しかったりします。

 

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じん臓のしくみ 体の水分量を調整する方法

生物の体のしくみを知ると、この生き物の創造主はなんて精妙な設計士なのだろうと驚嘆することになります。

特に内臓器官は、そのどれもが素晴らしい個性を持っていて、その豊かさに目を見張ります。

私が腎臓内科を専門にしているということもありますが、今回はじん臓の素晴らしさをご紹介します。

 

じん臓のはたらきのひとつに、「体の中の水分を量を調節する」というのがあります。

下痢や嘔吐など、体の水分が奪われた時に、さらなる水分の減少を防ぐために尿の量は少なくなりますね。

もしかしたら、皆さんはこの現象を「タンクの中の水が少なくなった→だからちょろちょろとしか水が出ない。」と同じもんだろうと考えてはいませんか?

「体の中の水分が少ない→だから尿が少なくなった。」

見かけは似ているかも知れませんが、中身は違います。

その時の尿の色は、濃い黄色をしているはずですね。

少量の薄い尿ではなく、尿を濃縮して少ない量にしているのです。

 

少し話はそれますが、水分の量を調節するはたらきのほかに、じん臓はタンパク質が代謝されてつくられる「窒素代謝物」=「老廃物」を尿に溶かして捨てるというとても重要な働きを持っています。

基本的な窒素代謝物としてあげられるのは、アンモニアです。

魚などはエラから、たえずアンモニアを捨てています。

けれどもアンモニアは水に溶けやすいという利点はあるものの、毒性が強いという欠点があり、多くの哺乳類はアンモニアを窒素代謝物として扱うことを避けました。

何かの拍子にアンモニアが体内にあふれだすことを恐れたのでしょう。

アンモニアと二酸化炭素が結合すると「尿素」という毒性が低い物質になります。それで、尿素を「窒素代謝物」として捨てることにしたようです。

ところが、アンモニアと比べて尿素にも欠点があります。

水に溶かさないと扱えず、しかも大量の水を必要とするということです。

 

ところで、窒素代謝物をろ過するのがじん臓の中の糸球体というところです。コーヒーフィルターをイメージしてもらったらよいですね。

話をもとにもどして、尿の量を調整するとは、ざっと2通りの方法が考えられると思います。

1つ目は糸球体がろ過する量を減らすこと。

もともとが少ないのですから、尿は減ります。でもこれでは窒素代謝物をろ過することも少なくなってしまって体内に老廃物がたまってしまうということになりますね。

 

2つ目は、ろ過した尿から水分をぬくこと、つまり濃縮すること。

 

ひとくちに濃縮といっても、このシステムがまたすごいのです。

よくこんなこと考えついたなあと感心します。

対向流増幅システムと呼ばれるものです。

 

まずは設計の発想がすごいのです。

濃縮するということは、水分を取り除くということですね。

たとえば、実際に海水を淡水化する工程では、フィルターを使用しているそうです。

水分しか通らないような細かいフィルターを通せば、水は抜けていくので濃縮されます。

けれども、それはろ過の原理と一緒なので調節が難しくなります。

透析黎明期の頃、除水量を血流量で調整していたのと似たしくみになるかも知れません。

 

実際にじん臓がとったシステムとは、浸透圧を利用した濃縮システムでした。

なんと逆転の発想。

何をしたかというと、ろ過した尿からナトリウムを抜くことをしたのです。

そうすると、尿は濃縮されるどころか、希釈されます。さらに薄くしてしまったのです。

 

糸球体からろ過された尿は尿細管という細い管を通るのですが、尿細管の外は汲み出されたナトリウムで満たされて浸透圧が高くなります。

つまり、そこに浸透圧の差が生じます。

 

下図をごらんください。

尿細管はヘアピン状に急カーブをしていて、管外の浸透圧差を利用して尿の濃縮や希釈具合を調節するしくみをつくったのでした。

具体的には尿細管の壁に並ぶ細胞にちょっとしたしかけをこしらえて、尿を濃縮したいときには水を通しやすくします。

すると水は浸透圧の低いほうから高い方へと移動しますから、水は尿細管の中から外へ浸みだしていきます。

希釈したいときには、何もせずともいいわけです。もともとがナトリウムが抜かれて希釈されていますから。

 

その濃縮・希釈の調節はどこがリーダーシップをとって指令を出しているのでしょう?

じん臓が独自に考えているのか?

実は、じん臓は水分の過不足を自分で判断することができません。

水分のコントロール指令は、遠く脳から発せられているのです。

体全体を統括する脳が感知した方が合理的といえますね。

脳から出たホルモンが、尿細管に作用し水分を調整するように働きます。

水の通過性を左右する「抗利尿ホルモン」と呼ばれるホルモンです。

 

このあたりの連携プレーは見事と言うしかありません。

あえてナトリウムを外に出して、そこに浸透圧差をつくり、その中をヘアピンで通して、そこにホルモンを作用させる…。

こんな見事なシステムなど誰が考えつくでしょう?

 

対向流増幅系