第11回長時間透析研究会

長時間透析研究会について、例年、私が個人的に楽しみにしているセッションがあります。

「患者様からのメッセージ」です。

今回は島根県と栃木県のお二人のお話を聞くことができました。

 

以下はそのうちのお一人の抄録からの引用です。この方は自ら臨床工学士として、透析患者としての体験談としての発表をされていました。

 

「現在でも多くの施設で週3回4時間の透析が根拠も無く「標準」とされ、その透析量に疑問を持たないまま漫然として透析医療が提供されています。

現在はまだ患者自身が「より良い透析」を求めて貪欲にならなければ、余程運の良い患者を除いては十分な透析が受けられず、多くの体調不良を抱えつつ少ない透析量で生きていかねばならない状況です。

本来であれば、患者自身が苦労して施設を探さなくても、どの施設でも質の高い十分な透析を受けられるようになるのが理想だと思っています。

また、透析医療が患者の社会復帰を支援するものである以上、十分な透析量を確保する事により、体調不良や、透析の苦痛をなるべく少なくできるようにするべきだと考えています。」

 

心に深くとどめておきたいお話でした。

 

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長時間透析研究会に参加します

第11回長時間透析研究会が本日開催されます。

昨日の夜からスタッフと東京入りしていて、朝から参加する予定です。

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さくだ内科クリニックも看護部門で演題を発表予定です。

 

最後のまとめのスライドがこれ。

長時間透析を提供する透析施設としての思いを込めました。

発表スライド(長時間透析研究会)

 

みんなの応援歌

上々颱風(シャンシャンタイフーン)の「いつでも誰かが」という曲が大好きです。

 

スタジオ・ジブリのアニメ「平成狸合戦ぽんぽこ」のエンディング曲としても知られていますね。

「ぽんぽこ」では、開発で居場所を追われながらも人間世界になんとか溶け込みながらたくましく生きていこうとする狸たちの姿が印象的でした。

ぽん吉がかつての仲間たちと再会を喜びあう中で、この曲は流れてきます。

 

「狸だってがんばってるんだよォ」

今でもこの曲は私にとっての応援歌です。

 

 

 

 

 

Superstar(カーペンターズ)

多くの方がカバーしていますが、やはりカレン・カーペンターの唄声は完璧すぎて格別です。

歌の内容は「恋に恋している女の子の思い込み」だったり「おっかけの押し付け」が前に出てくるような歌なのですが、現実の寂しさや孤独の中で成長していく姿を描いた曲…と勝手に解釈しています。

この曲はカーペンターズのオリジナルではなくて、実はカバー曲だったのですね。

カーペンターズのイメージがとても強い曲です。

 

 

 

 

サム・ロイドのパズル「3人の男の子」

以前にも紹介した、パズル王「サム・ロイド」からのパズルの問題です。

 

「3」、「1」、「6」の数字の服を着た3人の男の子がいます。

このままの並び順、316(さんびゃくじゅうろく)は7では割り切れません。そこで、うまく男の子を並び替えて、7で割れる数字にしてください。

q3

 

これは、意外に簡単かも、ですね。男の子というのはワンパクです。

 

 

答はこちらに→ 「3人の男の子の答え」

 

 

 

 

黒板アート

何かのきっかけで「カロリーメイト」のCMで黒板アートの動画を観ました。

その素材の素晴らしさに、ざわーっと鳥肌が立ってしまうほど感動しました。

 

動画の説明には、こうあります。

「総勢34名もの美大生たちが、総制作時間のべ2,623時間以上かけて制作した総数6­,328枚にも及ぶ黒板アートのアニメーションで表現。

友だちとの時間や勉強、家族と­のやりとりなど、リアルな高校生の日常生活を描いています。

受験時にカロリーメイトを­食べながら受験に挑んだという経験もある平祐奈さんの等身大の女子高生の演技と、その­繊細な表情や様々な想いを表現した黒板アートにご注目ください。」

下の方にメイキングドキュメンタリーもあります。

 

https://youtu.be/6hEPk_DWBiY

 

下がメイキングドキュメンタリー。

https://youtu.be/K9FuroTnvtA

 

 

「見たり、聞いたり、試したり」

本田宗一郎さんの言葉です。

「人生は見たり、聞いたり、試したりの三つの知恵でまとまっているが、その中で一番大切なのは、試したりであると僕は思う。

ところが世の中の技術屋というもの、見たり、聞いたりが多くて、試したりがほとんどない。

僕は見たり聞いたりするが、それ以上に試すことをやっている。その代わり失敗も多い。

ありふれたことだけど、失敗と成功はうらはらになっている。」

 

最近になって、この言葉の重さがよくわかってきた気がします。

多くの長い時間をかけ裏打ちされた多くの経験があってこそ、物事が少しずつ形をつくっていきます。

そして、人々に感動を呼ぶようなものって、大抵たった一人の夢や願いから始まったというものが多いです。

今あるものは、以前にきっと誰かが「試したり」したこと。

みんな、はじめてやることですね。最初からうまくいくはずがないと思っています。

 

はじめて自転車に乗れたときの感動を、今でも同じように求めていたりします。

 

版画 メランコリア(憂鬱質)

アルブレヒト・デューラーの版画「メランコリア」は、寓意に満ちた題材がちりばめられた非常に難解な作品として知られています。

その絵の中の右上に描かれた魔方陣は、知る人ぞ知る有名な魔方陣らしいですね。

Dürer_Melancholia_I

アップにすると、下のようになります。

Melencolia I (B. 74; M., HOLL. 75)*engraving *24 x 18.8 cm*1514

魔方陣というのは、「1からはじまる連続した整数を正方形状に並べて、各行・各列・対角線の数の合計が、どれも同じ数になるようにしたもの」。

ちなみに上の魔方陣だと下のようになります。

mahoujin

 

ルネサンス時代の占星術師は、4次の魔方陣を木星と結びつけていて、土星の気質であるメランコリア(憂鬱気質)に対抗するものだと信じていたそうです。

ちなみに三方陣は土星、四方陣は木星、五方陣は火星、六方陣は金星、八方陣は水星、九方陣は月、というようにそれぞれのシンボルとされていました。

 

この魔方陣はまた「対称方陣」とも呼ばれていて、正方形の中心に対して反対側の対称な位置にある数の和が「17」になるように配列されている、特殊な魔方陣でもあります。

taisho

魔方陣は西洋だけでなく、中国やインドでもお守りとして身に着けられていたそうですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

テンヨー・マジック 「さっかく定規」

もともとがテンヨーの「3つシールを集めてスペシャルマジックをもらおう!」のプラスワンキャンペーン用のために考案されたマジックでした。

テレビで話題となって、商品化されたと聞いています。
原理としては、100年以上も前に報告された錯視図形が元になっています。

アメリカの心理学者ジャストローが報告したので、「ジャストロー錯視」と呼ばれているものです。
どんな錯視かというと、上下に並べた二つの同じ大きさの扇形は、下の扇形が上の扇形よりも大きく見えてしまうという現象です。

このジャストロー錯視のおもしろい点は、この二つの図形の並び方を変えるだけで、お互いが大きく見えたり小さく見えたりすることです。

下の図のAとBは同じ形、同じ大きさなのですが、Bの方が大きく見えます。

Jastrow_illusion_svg
この錯視をマジックとして応用したのがテンヨーの「さっかく定規」。

そして、さらにおもしろいのはこのマジックが逆転の発想から生み出されたものということなんですね。
つまり、「同じ大きさの二つの図形が違う大きさに見えるのならば、同じ大きさに見える図形が違う大きさだったら?」という発想です。

演じている方も、わかっていても不思議な感覚になるマジックです。

 

 

 

「塞翁が馬」

ある人とお話をしているとき、『「ありのままの自分」というけれど、「ありのまま」が一番難しい。』というお話になりました。

『あるがまま』を受け入れたり、『ありのまま』であることはきっと大事だというのはわかるのだけれど、その状態に至るのには理解するだけではきっと足りない。

「今、この瞬間に何かをしている」ことが大事なのであって、「何が起きているか」に一喜一憂しているようでは、その境地には程遠いよねと、その方は言っていました。

本当にその通りだと思います。

 

そして、ふと「人間万事塞翁が馬」という故事ことわざを思い出していました。

改めて、紹介しますね。

 

中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。さらに北には胡という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。あるとき、その老人の馬が来たの胡の国の方角に逃げていってしまいました。

この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。

「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

そして、しばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。

「このことが災いにならないとも限らないよ。」

しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。

「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。

しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。

 

目の前に起った出来事をあるがままに受け入れることの大事さを教えてくれています。

 

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