映画 「禅」

ビデオで「禅」を観ました。

道元禅師の生涯を描いた2009年の映画です。

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり

当たり前のことが当たり前のこととして、ありのままに現われる自然の姿こそが、真実の姿なのだと道元は語ります。

映画では道元が語る何気ない言葉(セリフ)が、「正法眼蔵」などを出典とする言葉であったり、エピソードであったりしました。

道元フリークの人にとってはたまらない映画だったでしょう。

 

仏道をならうというは、自己をならうなり。

自己をならうというは、自己をわするるなり。

自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。

万法に証せらるるというは、

自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。

(仏法を求めるとは、自己とは何かを問うことである。自己とは何かを問うのは、自己を忘れることである。答えを自己のなかに求めないことだ。すべての現象のなかに自己を証すのだ。自己とはもろもろの事物のなかに在ってはじめてその存在を知るものである。覚りとは、自己および自己を認識する己れをも脱落させて真の自己を無辺際な真理のなかに証すことである。こうしたことから、覚りの姿は自らには覚られないままに現われてゆくものだ。 石井恭二訳 河出文庫より)

 

そして、「非(あらず)」の思想。

「二見に堕すな」という言葉が禅にはあります。

善悪、正邪、高低、優劣など、二つを一つに合わせて捉えるまなざし。

映画では、道元の静かで穏やかな雰囲気とは裏腹に、熱く激しい魂の持主であることを伝えていました。

いつか繰り返し観てみたい映画です。

 

 

 

ちまたの教え

時々、ちまたの教え(通説)の中に強く賛同してしまうものがあります。

多くは茶飲み話のついでの話ですが、よく考えたら、うまく生きる、生活の知恵とも言えそうです。

曰く、「心配しないよ~。心配したら本当になるよ~。」

隣りのお姉さんにそう言われたこと、ありませんか?

 

よく言われるのが「人は今この瞬間を生きるしかないのだ」ということです。

心配すれば物事が解決するということでもありませんし、先のことを思い煩って堂々めぐりの中にいると、事態は進まないばかりか、めくってはいけないジョーカーをわざわざ当ててしまうようなことも起こります。

 

いい未来を迎えたいのなら、少なくとも今の心配をやめて、今に集中することが先ですね。

ダメだ~なんて思わないで、やれることを探してみましょう。

 

どんな環境でも楽しみを見つけたり、提案することが出来る人は貴重です。

 

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台風24号&25号

沖縄もすっかり秋らしくなってきて、夜中のクーラーも必要なくなったね~とお話していたのですが、ふと予報を見ると台風が発生していました。

しかもほぼ同時に24号(コップ)と25号(チャンパー)の2個が発生です。

やっと台風の季節も過ぎたと思って、ほっとしていた矢先でした。

自然のことはもちろんコントロール外のことですが、「もういいんじゃない?」と言いたくなります。

 

今のところ24号はフィリピンへ、25号はマリアナ諸島に向かう予想だとのことですが、油断のならない秋台風です。

どこの地域にも影響がないようにと祈るばかりです。

 

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雲 三部作

快晴の青空が那覇大綱挽まつりを盛り上げましたね。

空を見ながら、山村暮鳥の詩をふと思い出していました。彼の詩は童謡のように優しく、また情景を切りとった短歌のようでもあります。

朗読すると、子どもの頃の(ピュアな?)感性を取り戻すには良い方法かも知れませんね。

教科書にも載っていた(と思う)雲の詩を紹介します。

私が勝手に雲三部作と呼んでいるものです。

 

      雲

    丘の上で

    としよりと

    こどもと

    うっとりと雲を

    ながめている

 

      おなじく

    おうい雲よ

    ゆうゆうと

    馬鹿にのんきそうじゃないか

    どこまでゆくんだ

    ずっと磐城平の方までゆくんか

 

      ある時

    雲もまた自分のようだ

    自分のように

    すっかり途方にくれているのだ

    あまりにあまりにひろすぎる

    涯のない蒼空なので

    おう老子よ

    こんなときだ

    にこにことして

    ひょっこりとでてきませんか

 

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ラグビーに沸いた日々

朝、早い試合にも関わらず、LIVEで見た方も多かったのではないでしょうか。

ラグビーワールドカップ 日本対アメリカ戦。

3勝して決勝トーナメントに進めない史上初のチームになったとか、南アフリカは初戦に日本に敗れたせいでそのまま優勝しそうだとか、いろいろなことが話題になっていますが、ラグビーファンを一気に増やした功績(私を含めて)は、見事でした。

毎回の試合が感動的でしたし、今朝の試合もすごかったです。感謝です。

 

 

2019年の日本開催に期待が高まりますね。これからもずっと見守っていきたいと思います。

 

JPvsUSA

 

「社会彫刻」

ドイツの前衛芸術家ヨーゼフ・ボイス(1921-1986)の作品(プロジェクト)として「7000本の樫の木」というものがあります。

ボイスの構想は、7000個の玄武岩と樫の木を対にして、カッセル市全域に植えるというものでした。

つまり、最初はただの無機質な石(死を意味する)だったものが、生ある7000本の樫の木へと変身するというものです。

多くのボランティアが関わり、この作品(プロジェクト)の完成までに5年かかったそうです。

最後の1本が植えられた時には、すでにヨーゼフ・ボイスはこの世にいませんでした。

 

ボイスによると「社会彫刻」とは、社会に生きる一人一人が創造性を用いて、自分で考え、自分で決定し、自分で行動し、社会を作り上げていくべきだという考えです。

 

ボイスは、東西が分裂していたドイツの状況下で、体制やお金ではなく、人々の創造性こそが社会を形成するとしました。

創造性とは、単に芸術作品を作るときだけに使われるものではなく、誰もが持っている能力であるからこそ、「誰もが芸術家である」と主張しました。

彼はこう述べています。

「人間の行う活動は労働あれ、何であれ、すべて芸術であり、すべての人間は芸術家である」

 

社会は一人ひとりが創造性をもってつくるべきだとする「社会彫刻」という考えは、未来の姿をデザインし、今の自分の仕事と結びつける「時間の彫刻」でもあります。

 

ボイスが今の世の中にいたら、どんな活動をしていたことでしょう。

 

 

 

 

 

 

W杯サッカー アジア2次予選

昨日はサッカーのワールドカップ アジア2次予選のテレビ観戦をしていました。

本戦に進んで当然という世間の期待もあってか、予選独特の重苦しい雰囲気がありました。

そういう中で結果を残したのは、精神的にもタフである証拠なのでしょうね。

 

いつの予選をしているのかと改めて見るとロシア ワールドカップは2018年です。

3年後の大会に向けての予選です。

3年後、今ピッチの中にいる彼らの中で、何人がプレイしているのでしょう。

後で振り返ってわかることなのでしょうが、予選を通過させるという使命だけの選手もいるのかも知れませんね。

そう考えると、今ベストを尽くすことの大切さを改めて思ってしまいます。

 

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「朝」という字

今さらなのでしょうが、3年B組 金八先生の名言集を何気なく見ていたら、「ほう」と感心したものがありました。

「朝」という字の説明です。

曰く、「朝という字は、人が生まれるのに十月十日かかることからきている。その誕生の朝の素晴らしさから、できた字。」

 

「朝」という字を分解すると、十月十日になることは知っていました。けれども、それは10月10日を指すものだと思っていました。

もうそろそろ10月10日だなあと思っていたら、上の説明に遭遇しました。

 

夢を描いて、それが形になるまでには時間が必要です。最短の時間と最小限の努力で一足飛びに何かを得ようとしても、無理な話です。

花を咲かせるまでには、土を耕し、種をまき、水をやり、肥料をやるなど世話をして、成長していくのを待つことが必要ですね。

 

「朝」という字が、「この時点・瞬間」のイメージから、「時間の厚み」を持ったイメージに変わりました。

さすが金八先生です。

 

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職場見学のお礼状

クリニックに職場見学のお礼状が届きました。

夏休みをつかって、職場の様子(そこに親がいれば、親が働いている様子)を見学するというカリキュラムで、今回は3人の小学6年生がやってきました。

良い経験になってくれたようで良かったです。

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