マジシャン

 

スタッフ・ルームで休憩しながら、テレビを見るとはなしに流していたら、コカ・コーラのCMが流れてきました。

「このCMはCGを使わずに撮影しました。」

わざわざ画面の右下片隅に、注意書きがあります。

 

「そんな注意書きがあるということは『マジック』?」

一気にワクワクして注目してしまいました。

 

お客がコカ・コーラ・ゼロを注文したのに、店員が持ってきたのは「コカ・コーラ」

けれども、コースターをかざすと、一瞬にして「ゼロ」に変わるというマジックでした。

確かに、これでは「CGを使っていません」という注意書きは必要かも知れませんね。

 

https://youtu.be/LPpbnsyAbI0

 

登場しているのはJustin Flomというアメリカのマジシャン。

イリュージョニストというよりも、クロースアップを得意とするマジシャンのようです。

これから、日本でも売り出すのでしょうか?

 

マジック好きの私としては、楽しみです。

 

 

 

 

 

 

眼横鼻直(がんのうびちょく)

 

道元禅師が宋に渡って悟りを開き、帰国したときに語った言葉だそうです。

「眼横鼻直」

眼は横に並んでいて、鼻は縦に並んでいる。

当たり前のことです。あまりにも当たり前のことを当たり前として受け止めています。

 

けれども、人は得てして「当たり前」を素通りして、特別な経験を求めがちなものです。

自分自身についてさえも、あるいは色眼鏡で見ているのかも知れません。

あるがまま、そのままを受け容れることは、難しいものです。

 

「宋で何を学んできた?」と問われて

「眼は横に並び、鼻は縦についているということです。」

そう答えた道元禅師に、常人には測ることのない凄みを感じます。

 

 

独り言?

 

 

娘たち2人の会話を、聞くとはなしに聞いていました。

 

「ん?今、何か言った?」

「言わないよ。」

「『う~ん。私はダメだ。』って言わなかった?」

「私が?」

「うん。」

「まさか!独り言にしても、それはネガティブすぎるでしょ!(笑)」

「いや、独り言じゃなくて。私に言ったかなって。」

「だから、言ってないって。」

「心の声じゃない?」

「聞こえるように?」

「そう。」

「人には言わないでしょ。『う~ん。私はダメだ。』って、独り言っぽいよ。」

「じゃあ、独り言。」

「だから(笑)言ってないって。」

「落ち込んでいるのかなって心配してあげたのに。」

「それは、ありがとうだけど、そんなにネガティブじゃないよ。」

「そうか。良かった。」

 

どうでもよいことを話しているようでいて、そんな他愛のない会話に、なんだかほっこりしてしまっている父親なのでした。

 

 

 

インフルエンザ流行

 

クリニック近くの学校で、再びインフルエンザが流行しています。

 

学生さんが連日のように発熱で受診していて、そのほとんどがインフルエンザ感染症と診断されました。

A型とB型が混在していて、流行の仕方が複雑なようです。

 

最近、文化祭もあって、地域の方々との触れ合いもあり、集団感染が危惧されます。

手洗いやうがいを十分に行ってください。

発熱があったら、ただの風邪だと思わずに「もしかしたらインフルエンザかも知れない。」と頭に入れておいてください。

 

下の地図は学校等欠席者・感染症情報システム」のサイトから引用してきました。インフルエンザ罹患による欠席者数を表しています。

 

 

浦添、那覇、うるま市、沖縄市などが「5人以上」を示す赤色となっています。

 

さわやかなグラデーション

 

しばらくお休みしていた「ウォーキング」を再開しました。

ちょっと早起きして、近くの公園を歩いてみたのですが、常連さんたちでしょうか。たくさんの人がすでにウォーキングしていたので、勇気づけられました。

「運動初めの10分間は、誰でも苦しい…。」

この苦しさは運動に対して酸素の供給が追い付いていかないことから起こる現象で、「デッドポイント」というそうですね。

これを知ってから、最初の10分間の気持ちの入り方が、気分的にとても楽になりました。

「自分は運動に向いていないかも知れない…。」と、落ち込む必要がないということです。

 

 

今朝の空は、雲ひとつなく澄み切っていて、グラデーションがとてもきれいでした。いつの間にか空にも秋の雰囲気が漂っています。

さわやかな朝をむかえました。

 

 

 

与えること

 

人にエネルギーを与える方法は3つあると言います。

 

1)リスペクトすること(畏敬の念を抱くこと)

2)チアすること(支援・応援・激励すること)

3)アプリシエイトすること(感謝すること、ただありがたいと考えること)

 

人に与えることは、自分の心を安定させるのだと言います。

畏敬の心と態度で人に接するということは、人との関わり方そのものが違ってきます。

その人をただリスペクトする。理屈ではない。リスペクトする対象としてとらえる。

応援することも、感謝することも同様です。

自分の心を整えて、乱されることがなくなります。

 

ためしに1日だけ、この3つを実行して過ごしてみてください。

理由づけはしないのです。ただリスペクトする、ただチアする、ただアプリシエイトする。

 

それだけで、どんなに心穏やかに過ごせるでしょう。

もしかしたら、仕事の効率もあがってくるかも知れません。

 

 

イグ・ノーベル賞「ネコは液体か?」

 

イグ・ノーベル賞とは「「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられるノーベル賞のパロディーとして知られています。

 

最近知ったのですが、イグ・ノーベル物理学賞を受賞した研究に「ネコは流動体か?」というのがあるそうですね(笑)。

原著がこちらです。PDFファイルに飛びます。→ 「On the Rheology of Cats」

「Rheology Bulletin」という流動学の会報に載った論文です。

 

論文によると、ネコは固体であると同時に流動体(液体)であるということです。

なぜなら、液体は容器に応じて形を変えることができる。そして、ネコも変えられるから。

「そうだったのか!」と笑ってしまいました。

 

論文に掲載された写真の数々がなんとも微笑ましいです。

 

 

ネコ好きには、ずっと昔から周知のことだったのかも知れませんね(笑)。

 

 

ノック式万年筆

 

私は見ていませんでしたが、あるテレビ番組で紹介されていたそうです。

「『あ、これ。先生が使っていた万年筆だ!』ってすぐにわかりましたよ。」とスタッフが教えてくれました。

 

私も、文房具レビューの本か何かで知って、店頭で書き味を確かめて気に入って購入しました。

パイロットのノック式万年筆です。

 

発想と構造は画期的だと思うのですが、この商品の誕生は1963年で、すでに50年を超えたロングセラー商品なのですね。

パイロットさんは万年筆に対する深い愛情にあふれているのでしょう。最近でも、普段万年筆を触ったことのない人にも届くようにと、キッズ向けと銘打たれた普及版万年筆「カクノ」を発売していました。

そのブログ記事はこちら → 「PILOT 万年筆 カクノ」

 

 

ノック式万年筆を手にしてから、もっぱらよく使っているのはこの万年筆です。

 

胸ポケットに挿して使えますから、機動性は抜群ですし、ペン先が柔らかく書き味にも満足しています。

 

お気に入りの文房具に出会うと、テンションがあがりますね。

 

 

あたたかく受け容れること

 

渡辺和子さんは、その著書「愛をこめて生きる」の中で、インドの詩人タゴールの詩を紹介してくれました。

「死ぬ瞬間 死とその過程について」(E.キューブラー・ロス著)にもタゴールの詩が掲載されていたのを、このブログでも以前に紹介させていただきました。こちら→「タゴールの『祈り』

 

人生とは、自ら求めたのではない境遇、立場、仕事、老いも、病も、死さえも、不本意ながら受け容れざるを得ないことがあります。

それをあたたかく受け容れ、ひたすら耐える力を求め祈ることこそが、人間のなすべきことと言えると、渡辺和子さんはおっしゃっています。

 

タゴールの詩です。

(以前に紹介した詩と訳は違えど元は同じ詩のような気がします。)

 

 

私が願うのは

危険から護られることではなく

危険のさなかで

恐れないことです

 

哀しみのどん底

心のはげしい痛みの中で

慰めてもらうことではなく

哀しみを克服し

勝利をうたうことなのです

 

逃げ場がなくなった時も

勇気を失わせないでください

世間的にも大失敗し

挫折の連続に遭っている時も

その害が取り返しのつかないものだと

考えない恵みをいただきたいのです

 

あなたが来て私を救ってくださる ―

これを私は願っていません

私が願うのは

のりこえてゆく力です

 

あなたは私の荷を軽くしたり

慰めてくださらないで結構です

ただ 私が重荷を担う

その力をお与えください

 

喜びの日に

謙虚に頭を垂れ

私はあなたを思い

あなたの存在を認めます

 

暗い悲しい夜

失意以外、何もない夜にも

ああ 決してあなたを

疑うことがありませんように

 

 

 

 

商品名と一般名

 

「お父さん、コルゲートって知ってる?」

高校生の娘が訊いてきました。

高校生の口からコルゲートという言葉を聞かされるとは思ってもみなかったので、「なぜ知ってる!」とうろたえました。

「クラスの友だちが、『自分の家族は、歯磨き粉のことをコルゲートって言う』って言ってたから。」

「え。今どき?」

「みんなで『コルゲートって何?』っていうことになって、ネットで調べたら、ちゃんとあってびっくりした。」

「そうそう。沖縄の人は、昔は歯磨き粉のことを『コルゲート』って言っていたんだよ。おじいちゃん、おばあちゃんに聞いてごらん。すぐにわかるから。」

「コルゲートって商品名でしょ?」

「ほら、紙おむつのことも『パンパース』って言うでしょ。」

「そうか!パンパースって沖縄の人しか通じないってね。」

「湿布薬のことも、「サロンパス』って言った方が通じるよ。」

「ああ~。」

「沖縄限定じゃないけれど、ウォシュレットもそうだし、万歩計も商品名だね。」

「そういうことかあ。」

 

商品名が一般名(通り名)として成り立つ例は、ほかにも薬の世界などでよく見かけます。

それにしても、それぞれのご家庭にはそれぞれ特有の文化があるってことなんですね。