「つまづいたおかげで」

 

前に知人からいただいた相田みつをさんの詩集「にんげんだもの」をふと手にして読んでみました。

ある詩のところに栞がはさんであるのに気づきました。

その方が、特に気に入っていた詩だったのかも知れません。

その詩のタイトルは「つまづいたおかげで」

相田みつをさんらしい優しさに包まれた気がしました。

 

 

 つまづいたおかげで

 

 

つまづいたり ころんだり したおかげで

物事を深く考えるようになりました

 

あやまちや失敗をくり返したおかげで

少しずつだが

人のやることを 暖かい眼で

見られるようになりました

 

何回も追いつめられたおかげで

人間としての 自分の弱さと だらしなさを

いやというほど知りました

 

だまされたり 裏切られたり したおかげで

馬鹿正直で 親切な人間の暖かさを知りました

そして…

身近な人の死に逢うたびに

人のいのちのはかなさと

いま ここに

生きていることの尊さを

骨身にしみて味わいました

 

人のいのちの尊さを

骨身にしみて 味わったおかげで

人のいのちを ほんとうに大切にする

ほんものの人間に裸で逢うことができました

 

一人の ほんものの人間に

めぐり逢えたおかげで

それが 縁になり

次々に 沢山のよい人たちに

めぐり逢うことができました

だから わたしの まわりにいる人たちは

みんな よい人ばかりなんです。

              相田みつを「にんげんだもの」より

 

 

ペンタゴン式「マインドフルネス瞑想」

 ペンタゴン式目標達成の技術 一生へこたれない自分をつくる カイゾン・コーテ著

 

あらゆるところで「マインドフルネス」が流行しているのを実感します。

特に宗教色を排した「マインドフルネス瞑想」は、PTSDやうつ、自殺予防にも役立つということもあって、それらを扱うときには必ずトピックとしてあがってくる印象があります。

 

「今、ここ」で起こっていることにフォーカスするというマインドフルネス瞑想は、「心を無にする」という瞑想に比べて実行しやすい親しみやすさがあります。

 

判断することなく、集中し観察し続けるということをし続ける。

そうすることで、逆に思考の動きが休息します。

 

この本で紹介されている「マインドフルネス瞑想」のやり方を引用します。

 

1)リラックスする姿勢をとります。床に座っても、イスに座っても構いません。

2)肩の力を抜いて、目を軽く閉じます。「基本呼吸」を意識し、リラックスしていきましょう。目を閉じるのが心地よくない場合には、開けたままでも構いません。

3)今、この瞬間に起こっていることに意識を向けます。例えば音に集中するとか、風の音、雨音に集中するのでもOKです。ただひたすら、その音だけに意識を向けましょう。

4)初心者にお勧めなのは、自分の呼吸に意識を向ける方法です。息を吸う、吐くという、呼吸のリズムにだけ集中してみましょう。

5)ゆっくりと呼吸を続けながら、心が落ち着くのを感じながら10分程度毎日これを行います。

 

ペンタゴン式では、毎日5分から45分の瞑想が効果的だそうです。

 

 

中秋の名月

 

昨日は旧暦の8月15日。中秋の名月でした。

 

実家では、ヒヌカン(火の神)に供えた後のフチャギが食卓に出ていました。

「お。フチャギにもバリエーションが出てきているんだね。」

紅芋の風味をもたせた「紅芋フチャギ」を初めて見ましたが、塩味が効いた大人の味でした。

 

 

外に出ると、時々流れる雲に隠れるものの、きれいなお月さんが輝いていました。

さすが「中秋の名月」ですね。

 

 

マイナスの要素にプラスの要素

 

 愛することは許されること 渡辺和子著

 

渡辺和子さんがこんなことをおっしゃっています。

 

「つまずくことも、転ぶことも、だまされることも、裏切られることも、決してそれ自身嬉しいことではないし、自ら望むべきことではありません。しかしながら、どうしようもなく、それらが〝来る〟時、そういうマイナス要素からさえ、プラスの要素を掴みとることが人間にはできるのです。」

 

 

そう、「困ったこと」が全て悪いことではないとおっしゃっています。

 

一見、表面的には「悪いこと」が、受け取り方と行動の仕方で、実は自分には必要だったことで、大切なことの呼びかけだったのだというのは、あることです。

 

それができるようになるには、やはり無手勝流ではだめで、先人たちが遺してくれた言葉の数々が役に立ちます。

 

「読書は人生を助けてくれる」と言うのは、そういうことなのだと思います。

 

マイナスの要素からプラスの要素を掴みとることができるように、物語にはそのヒントが散りばめられています。

 

 

雨と台風

 

最近は、ゲリラ豪雨的な土砂降りは時々みられますが、「そう言えば、まとまった雨って降っていないんじゃないか?」と思っている方も多いのではないでしょうか。

やはり、こういう時は「ダム貯水率」が気になるところです。(やっぱり強引にそこに持って行ってしまいました(笑)。)

平年値が78.2%。10月2日現在で78.4%となっています。

雨が降らなかった時の、グラフの直線的な下降の傾斜角度は昨年とほぼ同じですね。

ただし大きく違うのは、昨年の下降開始が10月半ばだったのに対して、今年は7月半ばから下降し始めていることです。

 

そして、「台風18号は大変だったけれど、今年は台風が来なかったね。」と結論づける方がいます。

「昼間は暑いけれど、朝夕は秋っぽくなってきたし、もう台風シーズンは終わりかな?」と言う方もいます。

けれども、それは少し早い気がします。

 

気象庁のサイトに台風の発生数を示した表があります。こちら→ 「気象庁 | 台風の発生数」

昨年までの直近5年間で10月は平均4.6個。

2011年のように1個という年もありますが、毎年大きな被害を出しているのは「秋台風」です。

 

油断しないで、まだまだ今後の台風情報には注意を向けておきたいと思います。

 

100 up

 

スロージョギングの提唱者である田中宏暁先生の著書を読んでいると、「100 up」という言葉に出合いました。

 ランニングする前に読む本 田中宏暁著

 

「100 up」とは、19世紀に長距離ランナーとして活躍したW.G.ジョージが考え出したランニング・トレーニング法のことです。

ちょうどそれを紹介する動画もありました。

 

ビデオを見ると、いわゆる「ももあげ運動」ですね。

 

両足の間隔を肩幅の広さにひろげて、リラックスして立ちます。

大腿部を腰の高さまで上げて、一瞬静止した後に元の位置に降ろします。

着地は足指の付け根(踏みつけ部)にすることがポイントのようです。

 

これを左右交互にトータルで100回行うトレーニングです。

W.G.ジョージは長時間労働の合間にランニングのトレーニングをしなければならず、そこでこのトレーニング法を考案したとのことです。

 

この運動を行ったジョージは見事優勝したとのことでした。

 

これは、運動不足の社会人に良い方法かも知れませんね。

 

 

2つの媒体

 

出張で、昨日の夜遅くに東京に到着しました。

東京への移動には、飛行機の中でまとまった時間が取れるので、実は楽しみにしています。

移動手段がひとつだけと言うのが、集中を途切れさせることがないので良いのです。

細切れにすると意味が分からなくなってしまうミステリーやサスペンスを好んで読みます。

 

電子書籍は、こういう時にとても重宝します。

嵩張らなくて良いですし、上下巻に分冊になっているものもお預けを喰らわなくて済みます。

けれども、そういう私も実は電子書籍に100%馴染んでいるわけではなくて、すごく気に入った本はやっぱり紙の本も手元に置いておきたくなって、本棚に揃えてあります。

「自分にとって大切な本は紙の本も揃えておく」

この一見すると無駄遣いなやり方は私だけではなかったようで、ある著名な知識人の方も同じことを言っていて、とても嬉しく思いました。

 

電子化された文章はストレートにコンピューター(AI)も読んでしまう世の中ですが、紙媒体の読み物はそのページめくりの動き、印刷物の匂いも含めて、極めて人間的なのだと思います。

 

 

 

「まだまだ」

 

食品か何かのテレビCMで、感心したシーンがありました。

 

舞台は牧場です。恐らくシリーズになっていて、兄と妹の会話です。

前の放映では、兄妹が大きな牛乳缶を両手に抱えて運んでいるシーンでした。

兄の方が、その荷物が重くて思わず地面に降ろしてしまいます。

後ろから追いついてきた妹が「お兄ちゃん、まだまだ。」と言いながら、追い抜いてしまいました。

「逞しくなったな。」

兄が頼もしそうに妹の背中に微笑んでいました。

 

今度のCMでは、(成長したのか)力作業も手際よくこなしている兄の姿を見て、妹が声をかけます。

「お兄ちゃん、逞しくなったね。」

兄はすかさず「まだまだ。」と返していました。

 

「まだまだ。」の順番が逆になっているところが、面白いと思いました。

そして、自分に向けられたほめ言葉に対して、これほど前向きに素直に応えている言葉もないかも、と思っていました。

「逞しくなったね。」と言われて「ありがとう。」でもいいかも知れません。

けれども、「まだまだ。」の方が、これから先の伸びしろと意欲を感じさせます。

「まだまだ自分はやれる。こんなものじゃない。」

向上心を感じさせる「まだまだ。」ですね。

 

 

ゆっくり走る

 

LSDとは「Long Slow Distance」の略です。

「ゆっくりと長い距離を走ること」という意味です。

ジョギングよりもさらにゆっくりと走るトレーニングで、歩幅を小さく「にこにこペース」で良いとされています。

 

距離を目標にするのではなく、60分から90分という長い時間を走ります。

距離を目標にすると、走り終えることに目標を置きがちですが、この方法だと90分間を走り続けなければならないので、練習になります。

特に私のような「スロー(ペース)ジョギング」の愛好者(!)にも、「効いた~」という感じになります。

 

昨日、時間の合間にこのLSDに挑戦してみました。

 

8~9分/Kmのペースでしたが、楽しく走ることができました。

走っている意識としては「歩く瞑想」に近い充実感を味わえるような気がします。

 

 

マングローブの黄色い葉

 

ずっと前に、慶佐次湾のヒルギ林の遊歩道をガイドの方に案内してもらったことがあります。

慶佐次湾のヒルギ林(マングローブ)は、国指定天然記念物として有名です。

 

ガイドの方の話がとても興味深かったので、今でも覚えているのが「マングローブの黄色い葉」の話です。

(だいぶ前の話なので、もしかしたら学術的に新たに判明したこともあったりして微妙に違っているかも知れません。)

 

マングローブが生育している場所は、ほとんど海水に近い河口付近です。

塩分濃度が高いうえに、土壌はドロになっているので通気性が悪く、植物が生きていくには過酷な環境です。

塩に対する耐性を持つために、いくつかのメカニズムが備わっているのだそうです。

そのうちのひとつが、水分とともに吸収してしまった塩分を幾枚かの葉に集積させて、老化葉を脱落させること。そうすることで塩を外に排出させます。

塩分が集積した葉は、その葉だけ枯れて黄色になっています。

そして、他の葉が青々と繁っているのは、この葉のおかげとも言えます。

 

 

私は、この葉のようなことが人の体にも起こりうると思うのです。

例えば、風邪をひくこと。

風邪をひくことが、日常生活の偏りを知らしめてくれることがあります。

疲労や偏り、弛みなどを省みることは、大切なことです。

つまり、安全弁のはたらきです。

マングローブの黄色い葉が、生きていくための安全弁であるように、全体のバランスをとるために修正の機会を与えてくれているのだと考えます。

「風邪をひいてしまった。最近、睡眠不足だったからな。ちょっと休もう。」

気軽に休めない方が多いのは承知していますが、休む勇気もお持ちください。

 

(写真を掲載したかったのですが、手持ちのファイルにはありませんでした。いつか撮影したら、あらためて掲載しようと思います。)