2つの媒体

 

出張で、昨日の夜遅くに東京に到着しました。

東京への移動には、飛行機の中でまとまった時間が取れるので、実は楽しみにしています。

移動手段がひとつだけと言うのが、集中を途切れさせることがないので良いのです。

細切れにすると意味が分からなくなってしまうミステリーやサスペンスを好んで読みます。

 

電子書籍は、こういう時にとても重宝します。

嵩張らなくて良いですし、上下巻に分冊になっているものもお預けを喰らわなくて済みます。

けれども、そういう私も実は電子書籍に100%馴染んでいるわけではなくて、すごく気に入った本はやっぱり紙の本も手元に置いておきたくなって、本棚に揃えてあります。

「自分にとって大切な本は紙の本も揃えておく」

この一見すると無駄遣いなやり方は私だけではなかったようで、ある著名な知識人の方も同じことを言っていて、とても嬉しく思いました。

 

電子化された文章はストレートにコンピューター(AI)も読んでしまう世の中ですが、紙媒体の読み物はそのページめくりの動き、印刷物の匂いも含めて、極めて人間的なのだと思います。

 

 

 

「まだまだ」

 

食品か何かのテレビCMで、感心したシーンがありました。

 

舞台は牧場です。恐らくシリーズになっていて、兄と妹の会話です。

前の放映では、兄妹が大きな牛乳缶を両手に抱えて運んでいるシーンでした。

兄の方が、その荷物が重くて思わず地面に降ろしてしまいます。

後ろから追いついてきた妹が「お兄ちゃん、まだまだ。」と言いながら、追い抜いてしまいました。

「逞しくなったな。」

兄が頼もしそうに妹の背中に微笑んでいました。

 

今度のCMでは、(成長したのか)力作業も手際よくこなしている兄の姿を見て、妹が声をかけます。

「お兄ちゃん、逞しくなったね。」

兄はすかさず「まだまだ。」と返していました。

 

「まだまだ。」の順番が逆になっているところが、面白いと思いました。

そして、自分に向けられたほめ言葉に対して、これほど前向きに素直に応えている言葉もないかも、と思っていました。

「逞しくなったね。」と言われて「ありがとう。」でもいいかも知れません。

けれども、「まだまだ。」の方が、これから先の伸びしろと意欲を感じさせます。

「まだまだ自分はやれる。こんなものじゃない。」

向上心を感じさせる「まだまだ。」ですね。

 

 

ゆっくり走る

 

LSDとは「Long Slow Distance」の略です。

「ゆっくりと長い距離を走ること」という意味です。

ジョギングよりもさらにゆっくりと走るトレーニングで、歩幅を小さく「にこにこペース」で良いとされています。

 

距離を目標にするのではなく、60分から90分という長い時間を走ります。

距離を目標にすると、走り終えることに目標を置きがちですが、この方法だと90分間を走り続けなければならないので、練習になります。

特に私のような「スロー(ペース)ジョギング」の愛好者(!)にも、「効いた~」という感じになります。

 

昨日、時間の合間にこのLSDに挑戦してみました。

 

8~9分/Kmのペースでしたが、楽しく走ることができました。

走っている意識としては「歩く瞑想」に近い充実感を味わえるような気がします。

 

 

マングローブの黄色い葉

 

ずっと前に、慶佐次湾のヒルギ林の遊歩道をガイドの方に案内してもらったことがあります。

慶佐次湾のヒルギ林(マングローブ)は、国指定天然記念物として有名です。

 

ガイドの方の話がとても興味深かったので、今でも覚えているのが「マングローブの黄色い葉」の話です。

(だいぶ前の話なので、もしかしたら学術的に新たに判明したこともあったりして微妙に違っているかも知れません。)

 

マングローブが生育している場所は、ほとんど海水に近い河口付近です。

塩分濃度が高いうえに、土壌はドロになっているので通気性が悪く、植物が生きていくには過酷な環境です。

塩に対する耐性を持つために、いくつかのメカニズムが備わっているのだそうです。

そのうちのひとつが、水分とともに吸収してしまった塩分を幾枚かの葉に集積させて、老化葉を脱落させること。そうすることで塩を外に排出させます。

塩分が集積した葉は、その葉だけ枯れて黄色になっています。

そして、他の葉が青々と繁っているのは、この葉のおかげとも言えます。

 

 

私は、この葉のようなことが人の体にも起こりうると思うのです。

例えば、風邪をひくこと。

風邪をひくことが、日常生活の偏りを知らしめてくれることがあります。

疲労や偏り、弛みなどを省みることは、大切なことです。

つまり、安全弁のはたらきです。

マングローブの黄色い葉が、生きていくための安全弁であるように、全体のバランスをとるために修正の機会を与えてくれているのだと考えます。

「風邪をひいてしまった。最近、睡眠不足だったからな。ちょっと休もう。」

気軽に休めない方が多いのは承知していますが、休む勇気もお持ちください。

 

(写真を掲載したかったのですが、手持ちのファイルにはありませんでした。いつか撮影したら、あらためて掲載しようと思います。)

 

 

健康的な生活

 

「健康的な生活」と言ったらどんなことを思い浮かべるでしょう。

 

バランスのとれた食事。適度な運動。十分な休養。よく眠れること。快便。笑顔でいること。

 

世の中には、具体的にとても多くの健康法があふれていますが、目指す基本は上のようなことだと思います。

 

健康を管理するということは、自分自身の生活を見つめなおすことから始めなければなりませんし、生活習慣がどんな影響を与えているかを考えるきっかけにもなります。

 

 

 

外来で「親戚から○○をすすめられたんですが、やってもいいですか?」と訊かれることがあります。

 

私の答えはだいたいいつも同じです。

 

「自分で健康にいいと思ったものは、何でもやってみて。」

 

ただし、無理をしないこと。(体力的なことはもちろんですが、金銭的にも、です。)

 

「健康にいいことをしている」と思うと、自信がつきます。

 

それが大切だと思います。

 

そして、続かなくてもいいですから、健康に関するアンテナを張り巡らしておいて、どんどんいろんなことをすればいいのだと思います。

 

違う三日坊主を2回続ければ6日になります。

 

健康管理が趣味の、健康オタクになるぐらいがちょうどよいと思います。

 

 

 

 

健康であること

 

時が経つのは早いものです。

先日、それをしみじみ痛感する出会いがありました。

ボーイスカウトのオヤジの会で親しくしてもらっていた「友だち」との再会です。

 

ボーイスカウトのオヤジの会を「チーターの会」と呼称して、ワイワイと遊んでいたのが、つい先日のようです。

私たち年代の3,4年という時間は、あまりその速度に実感を伴いませんが、同じ時間を生きてきたスカウトたちの成長ぶりは心身ともに見違えてしまいます。

 

あるスカウトは本土に就学したり、ある者は独立したりと、それぞれの家族の構成も少しずつ変化していってきました。

特に、年を重ねた親の介護の問題などは、今まで普通にやってきた社会活動を諦める選択を余儀なくされたり、生活そのものを変えざるをえないこともあります。

 

「友だち」の彼の外見は、一緒に遊んでいた以前よりもひきしまった体つきをしていました。

健康そうに見えると言うと、「水泳をしているんだよ。」と笑って答えていました。

きっかけは痛めた腰のリハビリのつもりだったそうです。その延長で健康に気を使うようになって、今も続けているのだと言っていました。

これから先の人生を考えると、自分が健康であることが、子どもにとって良いことなのだと思う。親のことを忘れて自分のことに集中してもらうことが、親にとって幸せでもある。

今まで健康が当たり前だと思っていたことが、実は相手に心配をかけない一番のありがたいことなのだと、言っていました。

 

家族のために、心身ともに健康であること。それがひいては、自分のためであること。

とてもよくわかります。

 

 

てだこの都市(まち)

 

浦添市は「てだこの都市」を宣言しています。

手元にある「浦添市史 第1巻」によると「てだこの都市」について、こう説明されています。

そのまま引用しますね。

 

浦添市は、昭和五十一年(一九七六)、「文化と産業の都市」をめざして「てだこの都市・浦添」の基本構想が策定された。「てだこ」とは、古都うらおそい王朝文化ゆかりの英祖王の神名てだこ(英祖の日子(てだこ))にちなんで名付けられた。文化遺産の継承発展と産業の発展に向けて、力強い活動が各方面にわたって続けられている。毎年夏にこれにちなんだ行事「浦添てだこまつり」が催されている。

 

英祖王が「日子(てだこ)」と呼ばれた理由は以前にもご紹介しました。

こちら → 「英祖てだこ伝説 「球陽」から」

 

イエス・キリストの出生と重なるような伝説です。恐らく、英祖王の神格化をねらった当時の知恵者が、西洋から伝わってきた「ありがたいお話」を融合させたものでしょう。

 

さて、今日はマジメなお話ではなく、娘から送られてきた一枚の写真の紹介です。

 

このサインの思い切りの良さに、まずびっくりしました。

SNSのノリをそのまま現実世界に持ち込んでしまっているところが、すごいです。

「いいね」ボタンがあったら、押しているところです(笑)。

個人的に気に入りました。

 

 

マジシャン

 

スタッフ・ルームで休憩しながら、テレビを見るとはなしに流していたら、コカ・コーラのCMが流れてきました。

「このCMはCGを使わずに撮影しました。」

わざわざ画面の右下片隅に、注意書きがあります。

 

「そんな注意書きがあるということは『マジック』?」

一気にワクワクして注目してしまいました。

 

お客がコカ・コーラ・ゼロを注文したのに、店員が持ってきたのは「コカ・コーラ」

けれども、コースターをかざすと、一瞬にして「ゼロ」に変わるというマジックでした。

確かに、これでは「CGを使っていません」という注意書きは必要かも知れませんね。

 

https://youtu.be/LPpbnsyAbI0

 

登場しているのはJustin Flomというアメリカのマジシャン。

イリュージョニストというよりも、クロースアップを得意とするマジシャンのようです。

これから、日本でも売り出すのでしょうか?

 

マジック好きの私としては、楽しみです。

 

 

 

 

 

 

眼横鼻直(がんのうびちょく)

 

道元禅師が宋に渡って悟りを開き、帰国したときに語った言葉だそうです。

「眼横鼻直」

眼は横に並んでいて、鼻は縦に並んでいる。

当たり前のことです。あまりにも当たり前のことを当たり前として受け止めています。

 

けれども、人は得てして「当たり前」を素通りして、特別な経験を求めがちなものです。

自分自身についてさえも、あるいは色眼鏡で見ているのかも知れません。

あるがまま、そのままを受け容れることは、難しいものです。

 

「宋で何を学んできた?」と問われて

「眼は横に並び、鼻は縦についているということです。」

そう答えた道元禅師に、常人には測ることのない凄みを感じます。

 

 

独り言?

 

 

娘たち2人の会話を、聞くとはなしに聞いていました。

 

「ん?今、何か言った?」

「言わないよ。」

「『う~ん。私はダメだ。』って言わなかった?」

「私が?」

「うん。」

「まさか!独り言にしても、それはネガティブすぎるでしょ!(笑)」

「いや、独り言じゃなくて。私に言ったかなって。」

「だから、言ってないって。」

「心の声じゃない?」

「聞こえるように?」

「そう。」

「人には言わないでしょ。『う~ん。私はダメだ。』って、独り言っぽいよ。」

「じゃあ、独り言。」

「だから(笑)言ってないって。」

「落ち込んでいるのかなって心配してあげたのに。」

「それは、ありがとうだけど、そんなにネガティブじゃないよ。」

「そうか。良かった。」

 

どうでもよいことを話しているようでいて、そんな他愛のない会話に、なんだかほっこりしてしまっている父親なのでした。