貫井徳郎さんのミステリー「慟哭」「愚行録」と読んでみて、同じ作家の他の作品にも興味が湧いてきました。
食指が動く、というのでしょうね。
この小説のあらすじはこうです。
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小学校の女性教師が自宅で死体となって発見された。傍らには彼女の命を奪ったアンティーク時計が。事故の線も考えられたが、状況は殺人を物語っていた。ガラス切りを使って外された窓の鍵、睡眠薬が混入された箱詰めのチョコレート。彼女の同僚が容疑者として浮かび上がり、事件は容易に解決を迎えると思われたが…。
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いやあ、この小説は、ミステリー作家としての作者が、本格ミステリー小説として、すごくチャレンジした作品なのだと思います。
(作者の意図は、あとがきですべて明かされます。)
すべての物語は結末にあらず。そのプロセスにこそ物語をものがたる意義がある。
私にとってはモヤモヤ感はなかったのですが、人によっては「え?なに?結論は?」と、今までの過程を全否定する方もいるかも知れません。
まさしく全編が推理する小説でした。
章ごとの主人公の視点で展開される推理が、この事件の全貌を徐々に明らかにしていきます。
その手法は「愚行録」で発揮されたマルチカメラ方式を彷彿とさせるもので、死角をつぶすことで、被害者の「真実」があぶり出されていきます。
「私(ぼく)(俺)}が、真犯人をつきとめようとする動機は、それぞれが被害者の女性との関わりが違っているのと同様に、やはりそれぞれが違っていて、もちろんアプローチも違い、推理の導線も違っています。
「挑戦的だなあ」と、まず作家の熱意に脱帽しました。
これからも貫井徳郎さんの作品を読んでみたいと思いました。