フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーの代表作「落穂拾い」
この絵が大好きで、いつも目にしていたいとノート・パソコンの壁紙にしています。
刈り入れが終わった後の畑の落穂拾いをする貧しい人々。
旧約聖書の律法に従って、畑の持ち主は落ちた穂を全て回収することは戒められていました。
貧しい人々の生活のために落穂は「わざと」残しておかなければならないとされていたそうです。
生命をつなぐ権利として「落穂拾い」は認められていた行為だったのですね。
沖縄県浦添市にある内科、腎臓&透析クリニックの院長のおはなしです
フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーの代表作「落穂拾い」
この絵が大好きで、いつも目にしていたいとノート・パソコンの壁紙にしています。
刈り入れが終わった後の畑の落穂拾いをする貧しい人々。
旧約聖書の律法に従って、畑の持ち主は落ちた穂を全て回収することは戒められていました。
貧しい人々の生活のために落穂は「わざと」残しておかなければならないとされていたそうです。
生命をつなぐ権利として「落穂拾い」は認められていた行為だったのですね。
若い頃には本屋に立ち寄ると、まとめ買いをするのが楽しみでした。
(今はやや抑え気味になりましたが)
表紙を見て、ぱらぱらとめくって気に入ったものを両手で抱える。
レジで「え?そんなにするの?」とびっくりして「すみません。この本はいいです。」
予算内におさめるために、そこで本の数のさじ加減をする。
「…すみません。この本もいいです…。」
前もって計算していけばいいのにと自分でも思いました。
(そもそも貧乏学生の財布の中にいくら入ってたんでしょうか。)
そんな買い方なので、家に帰ると「あれ。これ前に買ってたんだ。」という本が時々ありました。
武者小路実篤の書物がそうでしたし、神谷美恵子「生きがいについて」もそうでした。
ちゃんと読んでいるはずなのに、本屋で手に取ると不思議な催眠術にでもかかったように惹かれてしまっていたんですね。
「生きがいについて」は1966年が初版ということですから、すごく息の長い本です。
それだけ普遍的に共感を得た本だということなのでしょう。
この中で著者はこう言っています。
長い一生の間には次のような問いが発せられる。
1)自分の生存は何のため、またはだれのために必要であるか
2)自分固有の生きていく目標は何か。あるとすれば、そこに忠実に生きているか
3)以上あるいはその他から判断して自分は生きている資格があるか
4)一般に人生というものは生きるのに値するものであるか
ふつう壮年期は無我夢中で過ごしてしまい、だんだん年をとってそれまでの生きがいがうしなわれていく。
そして、生きる目標を変えて行かなくてはならないときに、この問題が再び切実に心を占めることになる。
自己の生存目標をはっきりと自覚し
自分の生きている必要を確信し
その目標にむかって全力をそそいで歩いているひと
― いいかえれば使命感に生きるひとが一番生きがいを感じる人種である。
自己に対するごまかしこそ生きがい感を何よりも損なうものである。
最後の文の言葉「自己に対するごまかし」については、よくわかるような気がします。
自分に対する裏切りをすることで、何度落ちたことかと思い当たるのです。
昨日、10月17日は沖縄そばの日でしたが、その話ではありません。
昨日はクリニックの透析室長と一緒に「TREAT PDカンファレンス」に参加してきました。
琉球大学「腎臓病総合治療学講座(TREAT)」が主催となって行われたカンファレンスです。
以下はカンファレンスの案内状から。
「現在、加速する腎不全患者さんの超高齢化社会にいかに対応していくかが求められています。このような環境下で患者さんがその人らしいライフを実現し、疾患をもちながら社会参加し、輝けるよう支援するには、切れ目のない地域医療連携体制を構築することが必要だと考えております。
そこでこの度、『腎不全医療における地域一体型モデルの構築』を目的とし、TREAT PDカンファレンスを開催させていただく運びとなりました。」
PDというのは腹膜透析のことです。
「その人らしいライフ」の実現というのは、在宅治療である腹膜透析の最大の利点ですね。
さくだ内科クリニックでも、琉球大学と連携しながら腹膜透析に取り組もうと考えています。
まずはその第一歩として、連携の第一歩ができた有意義なカンファレンスでした。
個人的には、沖縄で「長時間透析」の実績がすでに豊富な吉クリニックの吉先生に改めてご挨拶できたことが、もう一つの良いことでした。
遅ればせながらだと思うのですが、少し紹介させてください。
学会出張などには、ノートパソコンをバッグの中に入れてえっちらおっちら持ち歩いていたクチです。
キャリーバッグに入れて振動を与えては故障してしまうので
大切に肩にかけたり、手提げにしたりしていました。
ひと昔前に比べたら、ノートパソコンも軽くなっているのですが、移動ともなるとやはり重いのです。
これは持ち歩くものではないなと結論づけることになっていました。
(最近のウルトラブックには手が出ません。)
とは言っても、このブログを更新したり、勉強会の準備、突然夜中にひらめいたことの調べものなど
やはりコンピューターは必要なんですね。
最近ではホテルに「レンタルパソコン」のシステムがあったりして助かったりしますが
けれども、パソコンは自分の手帳のような感覚で使うようなものなので
いくらDropboxやGoogle driveのようなものを駆使したとしても、何となくしっくりこないのです。
それが見事に解消してしまいました。
懸賞ポイントをコツコツ貯めて、ポイント交換で獲得した品物です。
iPad mini。
来週にでもアップルはまた新しいiPad miniを発表するらしいのですが、そんな進んだお話は私のような者には関係ないですね。
「遅ればせながら」ですが、これは感動的に便利です。重宝してます。
カバー兼キーボードを購入して、小さなノートパソコン風に使っています。
この間の講習会に持って行ったのですが、ジャケットのポケットに入れても良いぐらいです。
(入りませんでしたが(笑))
世の中、便利になったものだと感動しています。
今もあるのでしょうか。
私たちが小学生の頃には、校外に出て遠足気分で絵を描く課外授業がありました。
「校内写生大会」と言っていましたが、「校内」にこだわっていなかった気がします。
ただし、私が通った浦添小学校は古い立派な校舎や木々があり、「校内」だとしても題材としては豊富でした。
何年生の頃かは忘れてしまいましたが、校外の写生大会の時は学年みんなで学校近くの浦添城跡に行ったことがあります。
浦添城跡が正式名称なのでしょうが、私たちは「浦添城址」(うらそえじょうし)という呼び方に慣れ親しんでいました。
当時、浦添城址は小学校のオリエンテーションの場として、近場なのでよく利用したものでした。
展望台から北の風景には牧港の沖縄電力の赤白の大きな煙突が見えますし
東の方には前田の集落が見えます。
展望台の方から尾根づたいに東の方へ歩くと、ちょっと離れて大きな岩があります。
浦添城址の南側の森の中の小道を通っていくと、岩の下につながっています。
東の端の大きな岩には、実はちゃんとした名前があるのですよ。
「為朝岩」
そう、あの源為朝伝説がここにも生きています。
そのお話はまた別の機会に。
実家に用があって、浦添城址の方を見上げたら為朝岩が見えました。
補修工事(?)でもしてるのかな。
遠くからでも、やぐらのようなものが骨組みされていたのが見えました。
ちなみに浦添市で一番高い地点が為朝岩の頂上らしいです。
「お父さん、お父さん。この絵すごいよ。」
私が家に帰宅するなり「おかえり」もそこそに次女が手提げ紙袋のデザインを見せに部屋から出てきました。
この人の絵って3Dアートって言って…と説明を始めましたが
何を感動しているのか最初はわかりませんでした。
その日の昼に、娘たちは沖縄三越のギャラリーを訪れたらしいのです。
CHRLES FAZZINO
ん?なんて読むの。ちゃーるず… ふぁつぃー…
チャールズ ファジーノ
三越の展示場で、その3D Pop Artと呼ばれる作品を目の当たりにして
娘は見事心の琴線に触れたらしいのです。
お父さんにこれあげる。つかって。
2014年版のアートカレンダーまでゆずってもらいました。
「今度、チャールズさんに会いに行ってこようか。」
「ええ!沖縄にいないよ。日本にもいないはず。」
「いや。アートは行動力だぜ。」
「え。アメリカに会いに行くの? そんな。恐れおおいっすよ。」
「感動したら会いに行く。うん。そうしよう。」
いつの日か親子でご挨拶に行ってくることにしました。
(と引き寄せよう(笑))
[youtube]http://youtu.be/f6nNUiGxcGI[/youtube]
13日(日)は日本抗加齢(アンチエイジング)医学会の講習会に参加してきました。
朝から夕方までの講演会でしたが、充実した内容だったと思います。
例えば、朝の部の「機能性医学の臨床応用」というタイトルのLectureは今まで知識の整理ができていなかった分野でしたし、勉強になりました。
機能性医学というのは、慢性疾患の疾患概念、従来の病態への新しい概念を導入しようとするものです。
例えば、広く知られたものに「メタボリック症候群」があります。
高血糖、高血圧、脂質代謝異常など、それまで単独の疾患と考えられていたものを
内臓脂肪蓄積に伴う酸化ストレスの亢進として理解することで
メタボリック症候群は生体機能のトラブルなのだと再評価することができました。
最近では腸内環境の変化と全身疾患の関係が取り上げられるようになっています。
「腸肝循環」や「腸脳相関」などがそうです。
(いわゆる“腸脳力”(ちょうのうりょく)です(笑))
また午後の部には金沢医科大学 梅原久範先生の「IgG4関連疾患ー21世紀に日本で確立された新たな疾患概念」のLectureは刺激的なお話でした。
さらに学習意欲をかきたてる内容で、ワクワクしながら聞き入っていました。
柳田邦男著「元気がでる患者学」の中に「治療的自我」についての説明と考察があります。
「治療的自我」とは、治療を施す者には治療効果を促すことができる、ある種の人格や人柄が備わっているものだとするものです。
人に信頼され心を開いてもらえるような、心を耕す目標としての人柄です。
その中に桂載作先生の論文『治療的自我の昂揚をめざして』が紹介されていて
クライエントに心を開いてもらうために望まれる医療者のあり方や態度についての4つの要点がまとめてありました。
私にとってもとても参考になるものでしたので、是非ここで紹介させて下さい。
(引用ここから)
1)相手に好かれていること。
相手を批判したりするのでなく、まずは相手の話を受け容れ、共感的に理解するとともに、無条件の積極的関心を持つこと。
2)信頼されていること。
専門家としての知識と技術にとともに、人間的なあたたかみが必要。
3)尊敬されていること。
謙虚さと感謝の念を常に持つこと。
患者の病気がよくなった場合、医療者である自分が治したのだろうか。
必ずしもそうではない。患者自身が治した、あるいは治るエネルギーを発揮したと言うべき部分が多いはずだ。
自分の位置や行為について、思い上がりがないかどうかの反省が、謙虚さを身に着けるには必要だ。
そのように自分の価値観を変えることのできるのは、自分だけだということについて、深い認識が必要だ。
4)相手の心を打つものがあるか。
あたたかい思いやりが必要。
ただし、ただ情に流されるだけでは駄目で、“Medicine is art.”と言われるように、科学性と芸術性の両面が求められる。
相手の心を打つような芸術性の要素としては、
一生懸命であること、
信念を持ち燃やし続けていること、
あくまでも患者の幸福を願っていることなどの度合いの強さが重要。
(引用ここまで)
1)の文中にある「無条件の積極的関心」という言葉にはとても共感するものがあります。
この項目のタイトルは「相手に好かれていること」ですが、好かれる好かれないはこちらの方からどうなるものでもありませんね。
では医療者ができることは何かというと、ここにある「無条件の積極的関心」に尽きると思うのです。
マザー ・テレサの有名な言葉を持ち出すでもないかも知れません。
他には4)の「信念を持ち燃やし続けていること」という言葉にはいつも強い憧れがあります。
何を隠そうオカルト映画は大好きです。
海外ドラマの「スーパーナチュラル」などは食いつくように見てしまいます。
先週、台風が立て続けに近づいてきたので、TSUTAYAでDVDを借りてみました。
沖縄の大多数の人間がそうなのでしょうが、鉢植えなどを片づける真面目な「台風対策」のほかに
「DVDを借りてくる」というのも立派な台風対策なんですよね。
外に出ず、じっと家にこもる準備というわけです。
シーズン6 第17話「沈まぬタイタニック号」には
ギリシャ神話から「運命の三女神」のうちのひとりアトロポスが登場していました。
三女神のことをモイラ(複数形ではモイライ)とも呼びます。
普通、「運命の糸」という表現をすると、男女の縁を表す赤い糸のイメージなのでしょうが
ギリシャ神話では違います。
人生の尺の長さを「糸の長さ」ととらえ、運命はその糸の長さによって決まってしまうのだと考えられていました。
運命の糸は金色をしています。
糸巻き棒から糸を紡ぐ者=クロトー(Klotho)
運命の図を描くもの=割り当てる者=ラケシス(Lakhesis)
そして、割り当てられた糸を切る者=不可避の者=アトロポス(Atropos)
この3人の女神の働きによって人間の寿命は決まると考えられていたのです。
あの万能の神ゼウスまでも彼女たちの決定にしたがっていますから、絶対的な万物の摂理に等しい存在なのでしょう。
話は変わりますが、腎臓学の領域で「Klotho遺伝子」という遺伝子がトピックです。
この遺伝子は、これを欠損したマウスは短命で多彩な老化症状をもたらします。
一方で、Klothoが過剰にあるマウスは平均寿命が2年から3年に延長することがわかっています。
つまり、長寿遺伝子として老化を制御すると考えられているのです。
ちなみにこの遺伝子、腎臓でカルシウム代謝やリン排泄に深く関わっています。
解釈を拡大して、実は腎臓そのものが老化を制御する臓器なのかも知れないとも言われているんですよ。
Klotho遺伝子は、お察しの通り、モイライ=運命の三女神のひとり「糸を紡ぐ者」=クロトー(Klotho)がその名前の由来ですね。
寿命の長さを紡ぐ遺伝子。
名付け親のセンスの良さに感動してしまいます。
さくだ内科クリニックは浦添市と那覇市の市境いに位置しています。
ちょうど透析室の一角を境界線が横切っている感じです。
ちなみに浦添市は「てだこの街」と呼ばれています。
「てだこ」というのは、「太陽の子」という意味です。
沖縄の方言で太陽のことを「てぃだ」と言いますが、その子ども、つまり「てぃだ」の「子」→「てだこ」というわけです。
今日はその「てだこ」にまつわるお話。
12世紀から14世紀頃の琉球王国は浦添城を中心に栄えていました。
その時の王が英祖王で、その人こそ「太陽の子」伝説がある人物です。
琉球王国の正史として編纂された史書『球陽』から。
以下原文のまま
「恵祖世主(えそよのぬし)は乃ち天孫氏の後裔なり。
当時、恵祖は伊祖按司為り。
善を行ひ徳を積む。然れども結婚の後、まったく生育なし。
晩天に至り、其の妻、日輪飛び来たりて懐中に入るを夢む。
既にして酸を喜び飯を悪む。
恵祖おもへらく、それ前夢の徴あらんと。
月すでに満ち足り、臨月の日、祥光異彩、屋中より雲端に直透するを見、並びに異香屋に満つるや、早や已に一男子を生得す。
恵祖、満心喜悦し、之れを愛し之れを惜しむこと異宝の如く一般なり。
当時の人、以て天日の子と為す。
英祖、生まれて聖明、賢と親しみ道を崇び、其の徳大いに著はる。
歳二十五、義本の世飢疫並行し民憂に勝へず国勢将に危からんとするに会ふ。
英祖、命を奉じ、登りて国政を摂するに、飢疫ともに止み、人心始めて安し。
政を摂すること七年、国人之れを仰ぐこと父母の如し。
ついに義本の禅を受け君と為る。」
内容は以下の通りです。
恵祖世主は天孫氏の子孫である。当時、恵祖は伊祖按司であった。
善を行い徳を積んだけれども、結婚後子供が生まれなかった。
老境にさしかかってからのこと。 その妻が、懐に日輪が飛びこむ夢を見て、そして懐妊した。
恵祖は、これは夢が現実となったことだと思った。
月が満ち、出産の日、めでたいきざしの光が、屋内から雲に達するまで発し、さらに不思議な芳香が屋内に漂うかと思うと、男児が生まれた。
恵祖は大変喜び、宝物のように育てた。名前を英祖とした。
当時の人々は、その子を「天日の子」とたたえて呼んだ。
英祖は聡明で、道を尊んで、徳が高い。
二十五歳の時、義本王の世は、飢饉が起こり、疫病が流行し、国が大いに危機に直面した。
英祖は王命を受けて国政をあずかるようになった。
間もなく飢饉も疫病もやみ、国も治まった。
七年間の摂政中、国民もこれを父母のように尊敬した。
三十二歳の時(1260年)ついに義本王から王位をゆずり渡され、国王となった。
実は私事ですが、高校から大学時代、英祖にまつわる伝説をもとに小説を書こうかと思った時期がありました。
琉球の歴史は文献に残っていないけれども伝承が数多く、題材が豊富なんですね。
実在するのかわからない禅僧のお話など、空想力が刺激されてワクワクしてきます。