「発想の転換」で問題の解決が得られたとき、とても気分が高揚します。
その「着眼点」や「アイデアの出所」に感心しますし、強く憧れたりします。
「すごい!頭がやわらかいなあ。」と賛辞を送りたくなります。
どんな人でも、興奮の度合いは違っても、同じ傾向はありますよね。
身近なところでは、一休さんのとんち話が昔から好まれているのはそうですし、映画「アポロ13」で数々の異常事態を乗り越えて、後に「輝かしい失敗」と呼ばれるようになったお話などは、思わず唸ってしまうほどです。
でも、人が生活していくって、本当はそういうことの連続なのでしょうね。
目的を定めたら、あきらめないで粘って粘って、だけどできるだけ遊びを入れながら考えてみる。
抽象的なたとえで恐縮ですが、「遊びを入れる」ということが佐久田なりに大切で、それがないと、なんだか執着だけが浮き彫りになって、おぞましい形相になって怖いです。
動かせないと思うものに出会ったら、自分が動いてみせる柔らかさとかは、時々かっこよくて颯爽と見えますから。(だけど、なかなかそれが難しい。)
実は、クリニックの建設の時でも、工程会議で透析室のパーティションをめぐって同じようなことがあったのですが、それはまた次の機会に。
そういう長い前置きをしたうえで、突拍子もないようですが、「発想の転換」をトレーニングするつもりで、私は「数学パズル」というものが大好きです。
「とっておきの数学パズル」(ピーター・ウィンクラー著)という本があるのですが、出張の時などは飛行機の中で、1題だけにずっととりかかっていたりします。
その中から、巷でも有名なパズルのひとつを引用して紹介してみます。
少し考えてみませんか?
屋根裏部屋に行くための階段の下に、電灯のスイッチのパネルがある。 そこには3つのスイッチがあって、いまは3つとも「切」になっている。 その3つのスイッチのうちの1つは屋根裏部屋の電球のスイッチであるが、それがどれだかはわかっていない。 (問題を明確にするために、他の2つのスイッチはどこか知らないところにある電灯のスイッチであり、また、屋根裏部屋の電球がともっているかどうかは行ってみなければ決してわからないものとする。)
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絵を描いてみたり、記号を書いてみたり。3つのスイッチをそれぞれxyzで三次関数で表してみたり。
いろいろこねくりまわしても、どうしても1つ手がかりが足りないことがわかってくるんですよね。
その1つを見つけるのが「発想の転換」だったりするわけですが。
解答は以下の通りです。
屋根裏部屋の電球につながっているスイッチがどれであるかを確実に判定するのはとても不可能に見える。 というのも、屋根裏部屋に1回行くだけでは、電球がともっているかいないかの2つに1つという情報しか得られないのだとすれば、3つの選択肢を確実に1つに絞ることはできないからである。 でも実は、自分の手の感覚を使えば、もっと多くの情報が得られるのだ。 スイッチ1とスイッチ2を「入」にして数分の間待ってから、スイッチ2を「切」にして屋根裏部屋にのぼっていく。 もし電球がともっていないけれども暖かいとすれば、スイッチ2がつながっていたことがわかる。 もちろん、ともっていればスイッチ1、 ともっておらず冷たいとすればスイッチ3につながっている。 |
「なあんだ。」と思うか「やられた。思いつかんかった。」と思うか。
人によって分かれるのが面白いところですね。