以前からうっすらと気づいていたことがあります。
テレビで毎朝やっているような「今日の運勢」や「おみくじ」などの運勢の結果のことです。
それが「吉」とか「幸運」「ラッキー」とかになってくると、どうも居心地が悪いのです。
1日の調子のリズムがなんとなくつかない。
似たようなことで、以前に厄年が明けた時も、少しさびしい思いをしていました。
厄年や、占いの「末吉」、あるいは「凶」などという概念は、人間が健やかに生きる智慧だと思います。
自分の身に何か悪いことが起こった。
占いを調べてみると、今日は「不運が続く1日です」とある。
なあんだ。自分が悪いのではないんだ。運のせい。
最近、やることなすこと全くうまくいかない。
そうか。俺は厄年なんだ。
なあんだ。自分が悪いのではないんだ。厄年のせい。
自分の力ではどうしようもない運とかを登場させることで、物語は自分の責任を離れて外側へと膨らんでいきます。
いつまでも自分を責めるよりも、どれだけ健全かわかりません。
だから、どんどん運勢のせいにすれば良いのだと思っているのです。
そして、前向きに事態にあたる。すると、客観的に自分のことをながめる余裕も出てくるかも知れません。
けれども、いざ、その占いが「絶好調」という結果が出てしまったとしたら!
私のミスを何のせいにすれば良いのでしょう(笑)。
たまたま見た今日の占いの結果がこうなっていました。
「絶好調の運勢です。こんな日は、ぜひ積極的に新しいことに挑戦してみましょう。 」
総合運がなんと93点です!
これって「絶不調」と言われるより、逆に怖いです。
禍福は糾(あざな)える縄の如し
これが世の中の真理だということも、また知っているからです。