自分を知ることについて 「預言者」より

以前にも紹介しましたが、カリール・ジブラン著「預言者」を柳澤桂子さんが訳されています。

詩に乗せて語られる預言者の言葉は、時に難解です。

けれども、何となくもやもやとして形にならない思いが、「預言者」の言葉で表現された時、腑に落ちる感覚があります。

 

「自分を知ることについて」の章があります。ご紹介します。

 

あなたのこころは昼夜のすべての秘密を知っているが、

それについては何も語らない。

だがあなたの耳は、そのこころの知識の秘密を聞きたくてしかたがないのだ。

あなたはこころのなかでは知っていることを、

いつも言葉で知りたがる。

夢の衣服を脱がせて夢の裸体に指で触れたいと思う。

 

あなたがそう願うのはもっともだ。

隠されたあなたの魂の泉は、わきいでて、

ささやきながら海に流れていきたいと願っている。

そしてあなたのかぎりない深みにある宝が

あなたの目の前にあらわれるであろう。

しかしその未知の宝を秤にかけてはならない。

そして杖やひもで知識の深さを測ろうとしてはならない。

あなたは、かぎりがない、測ることのできない大海なのだから。

 

「真実そのものを見つけた」というのではなく、

むしろ「一つの真実を見つけた」といいなさい。

「魂の歩く道を見つけた」というのではなく、

むしろ「私の道を歩いている魂に出会った」といいなさい。

魂はあらゆる道を歩くのだから。

魂は一つの線の上を歩くのではなく、

葦のようにまっすぐ伸びるわけでもない。

魂は無数の花びらをもつ睡蓮のように自ら開くのだ。

 

 

一つの線の上を歩くのではなく、睡蓮のように開く。

自分という存在は、決して線で表されるものではなく、幾重にも重なった放射状の灯りのように広がっていくものなのかも知れない。

人と人との出会いは、ちょうど池に落ちた無数の雨滴でできた同心円の波紋のように、重なり合って干渉しあっていくものなのでしょう。

 

ふとそういうイメージが浮かんで、この詩が好きになりました。

 

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