『自分』

ふと手にした本に、安岡正篤氏の言葉が載っていました。

含蓄のある言葉で、思い当たることもありましたので紹介しますね。

 

    自  分

 

自分というものは良い言葉である。

 

ある物が独自に存在すると同時に、

また全体の部分として存在する、

自分の自の方は独自に存在する、

自分の分の方は全体の部分である。

 

この円満無碍(むげ)なる一致を表現して「自分」という。

 

われわれは自分を知り、自分を尽くせば良いのである。

 

しかるにそれを知らずして自分、自分といいながら、

実は自己自私を恣(ほし)いままにしている。

そこにあらゆる矛盾(むじゅん)や罪悪が生ずる。

 

そういえば、何でもないようで、

実は自分を知り、自分をつくすことほど、

むずかしいことはない。

 

自分がどういう素質、能力を天賦(てんぷ)されているか、

それを称して「命」という。

これを知るのを「知命」という。

 

知ってこれを完全に発揮してゆくのを「立命」という

 

『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)

 

 全体へ働きかけ貢献しながら、それを自らの喜びとして生きる。

あの三銃士がモットーとしたのが「One for all, all for one.」(ひとりは万人のために、万人はひとりのために)

「自分」という言葉に込められた意味を考えると感慨深いですね。

 

Micro_Cosmo_in_Achamoth

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