青空文庫をあてもなく眺めていたら、トルストイの一覧の中に
「イワンの馬鹿」 菊池寛訳
がありました。
確か、幼い頃に絵本化されているのを読んだことがあるきりです。
どんなストーリーだったのかもすっかり忘れていましたので、ダウンロードして読んでみました。
↓ 短い読み物ですので、興味のある方はこちらからどうぞ
ウィキペディアにあらすじが載っていました。
↓ 時間がない方はあらすじだけでも良いかも知れません。
今、この歳になって読むととても考えさせられるものがありますね。
題材はロシア民話です。
もちろん、この物語が生まれたロシアという土地、風土、価値観などがイワンというキャラクターを際立たせているのでしょう。
トルストイが晩年に手がけた少年向けのお話というのも、この物語がもつメッセージ性を色濃くしています。
そういった背景を抜きにしても、現代に生きている私たちにとっても教訓的なお話だと思います。
この物語で「馬鹿」というのは、損得の基準を持たない存在のこと。
二元論を持ち出さないばかりか、とにかく愚直に純朴であり続けること。
人に乞われれば、モノや労働も「いいとも、いいとも」と言って惜しみなく分け与える。
そこにはネガティブな感情が入り込む隙間もなく、ひたすらに無心に行動を起こしています。
難しい理屈には「わしにどうしてそんなことがわかるもんか」と言ってひたすらに働く。
「馬鹿」と表現していますが、決して真似ができない「境地」のことを言っています。
全編を流れる空気感は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のデクノボーそのものじゃないかと思いました。
もしかしたら、こういう「馬鹿」に憧れていたのが昔の日本人じゃないのかな。
真似が容易でないだけ、私も憧れているのかも知れません。