私のブログでも、かつて「感謝日記」をとりあげたこともありますし、それでなくても「感謝」の効用については世の中にたくさんあがっています。
ところが、「感謝の実践」はよく誤解されがちで、その結果、効果が薄れたり、さらには害を及ぼすこともあります。
神経科学によれば、「感謝の実践」がその人にとって良い影響を与えるためには、それが真実の体験でなければならないとされています。
ところが、人は、感謝ばかりを感じていられるわけではありません。
感謝どころか、罪悪感や嫌悪感、自分に価値がないと感じること、または心に棘が刺さったような感情がしばしば心を支配するものです。
感謝日記をつけたり、感謝のリストを作成するなどの実践を試してみても、それが意味のあるものと思えなかったり、表面的でうすっぺらに感じられることがあります。
でも、よく考えてみてください。
本当に感じる「感謝の感情」と相反する感情を経験することは、その良さを否定することになるのです。
感謝は、特定の行為に対する感謝だけではなく、世界のどんなものに対しても真摯な感謝を含む気持ちです。
例えば、窓から見える美しい夕日を見た時、心から感動した気持ちは嘘偽りのないものでしょう。
そして、その美しい風景に思わず感謝の気持ちが溢れてきたという経験はないでしょうか。
感謝している人は、一般的にエネルギッシュで、生き生きとしており、積極的で、意欲的で、注意深い傾向があります。
彼らは活力を感じ、うつ病の症状が少なく、自分の人生に対してより良い感じを持っています。
「感謝の実践」は、心理的、社会的、精神的なリソースを活用し、トラウマに直面してもより回復力を発揮します。
ただし、このように真に感じる「感謝の実践」は、孤独感やストレス、不安などに飲み込まれているときには、不可能の極みように感じられることがあります。
感謝を真に体験するためには、「すべき」という考えを捨て、本当に感謝しているものに焦点を当てることが重要です。
感謝を真に感じる方法としては、少ないものや小さいもの、それに対する自分の心がどう動いているのかを観察しやすいものを扱います。
「感謝日記」には、具体的に何に感謝しているかを生き生きと書き、一つか二つのことにだけ焦点を当てるのが良いです。
それは、いくつかの浅い穴を掘るのではなく、一つの深い井戸を掘るようなものです。
このような感謝の練習を通じて、私たちはより多くの感謝の対象を認識する能力を養うことができます。
感謝が「間違った」時、私たちは義務感やうしろめたさ、不当な感情にとらわれがちです。
しかし、本当に感謝できるものに対して心からの経験を持つことができれば、私たちの人生は変わるでしょう。
これが感謝が「正しい」ときといえます。
