COVID-19の大波が過ぎ去り、私たちは表面的にはコロナ前の日常を取り戻しつつあります。
しかし、このパンデミックが私たちの記憶に刻んだ傷は、単なる経験の積み重ねを上回るものです。
今回、紹介する研究では、パンデミックに対する私たちの記憶が、どれほど自分自身の現在の「信念や評価」によって色づけられ、形作られているのかが明らかにされています。
元論文はこちら→
Sprengholz P, Henkel L, Böhm R, Betsch C. Historical narratives about the COVID-19 pandemic are motivationally biased [published online ahead of print, 2023 Nov 1]. Nature. 2023;10.1038/s41586-023-06674-5. doi:10.1038/s41586-023-06674-5
研究者たちは11カ国にまたがる4つの研究を通じて、合計で10,776人のデータを収集しました。
そこで得られた知見は、私たちのリスクの認識、機関への信頼、そして行動の記憶が、現在の「信念や評価」に深く根差していることを示唆しています。
例えば、ワクチン接種の是非を自己同一性の一部と強く見なす人々は、他の人々に比べて記憶の歪みが大きいことがわかりました。
「ワクチン接種の是非を自己同一性の一部と強く見なす人々」というのは、ワクチンを接種するかどうかという選択を、自分がどんな人間かということの一部、つまり自分のアイデンティティ(自己同一性)として、とても大切に考えている人たちのことです。
例えば、ある高校生が「私はエコにすごく関心があって、地球にいいことをするのが大事だと思ってるから、いつもエコバッグを持って買い物に行くよ」と言っているとします。
この高校生にとって、エコバッグを使うことはただの行動ではなく、自分が環境を守りたいと考えている人だという自分のアイデンティティの表現なんですね。
同じように、「私はワクチンを受けることでみんなの健康を守ることに貢献している」と強く思っている人もいれば、「私は自然な免疫を大事にしたいからワクチンは受けない」と考えている人もいます。
それぞれの考えは、その人が自分自身をどう見ているか、または他の人にどう見られたいかという自己像と深く結びついているわけです。
この自己像に基づいてワクチン接種の是非を判断し、自分の行動を決めているということですね。
で、その人たちは、他の人々に比べて記憶の歪みが大きいことがわかりました。
これは、接種を受けた人も受けていない人も同様です。
そして、興味深いことに、その歪みはしばしば対照的なものでした。
この記憶の歪みを修正しようと、記憶の一般的な誤りについての情報提供や、正確な記憶に対する「賞金」などを試みてみました。
しかし、面白いことに、これらの試みが記憶の偏りを減少させることはありませんでした。
ただ一つ、高額な「賞金」が提示された場合にのみ、記憶の歪みはある程度減少しました。
これは、我々の記憶がいかに現在の自己の動機やアイデンティティによって形作られるかを示唆しているものです。
これはただの学問的な好奇心から導き出された知見ではありません。
偏った記憶は、過去の政策評価や未来の行動計画に影響を及ぼし、それは将来にわたって私たちがどのようにパンデミックに備え、どのように対応するかを左右します。
政治家や科学者に対する評価、ルールを遵守すること、さらには、そのような時に彼らをどう扱うかについても、これらの歪んだ記憶が影響を与えるのです。
研究は、こう結論づけています。
「私たちの記憶は、COVID-19パンデミックに関して、大きな偏りを持っています。これは社会的に分裂を持続させ、将来のパンデミックへの備えに影響を与えます。そして、私たちの社会的な結束や相互の信頼に長期的に影響をもたらします。」
パンデミックの記憶を巡る議論は、公衆衛生の有効性だけではなく、私たちの社会の未来を形作るうえで、より広い視野を必要としています。