哲学者のフッサールは「意識は志向性を持っている」と言いました。言い換えると、意識は常に何かについて向かっているということです。
人間の意識は対象(何か)に向かって「志向」しており、その志向が対象(何か)に関する判断の基盤となることを指摘しました。
つまり、人間が何かに意識を向けるときには、その意識は対象に向かって動いているということです。
スマホを見ている時はスマホに意識があり、空を見ている時は空に意識があります。この時の「スマホ」や「空」が「何か」に該当するわけです。
「何か」が自分自身になってしまうと、自分の内面ばかりに意識が向かって堂々めぐりになってしまいがちですが、フッサールは、この志向性が単なる主観的なものではなく、客観的に捉えることができるとしました。
そのためには、自分が持つ先入観や偏見を取り除く必要があります。
そして、自分自身の感情を客観的に観察し、その感情がどのようなものであるかをできるだけ明確にしていくのです。
簡単に言っていますが先入観や偏見を取り除く時点でハードルが高く、ふと思ったのが何となく彼の言っている内的経験とは、禅の修行のようだというものでした。
それをヒントにするなら、サマタ瞑想のように心以外の対象に意識を集中させることが心を安定させることにつながりそうです。
つまり、意識を外側に向けるのです。
外側の何かに意識が向いている時は心が落ち着いているものです。
1日のうちのどこかで自分の意識が何を対象にしているのかを丁寧にチェックしていく時間を持つのは、心にとって良いことかも知れません。
