ふたつの「仙人」

 

芥川龍之介は「仙人」というタイトルの短編小説を二つ書いています。

一方は大阪、そしてもう一方は北支那の市(まち)が舞台の話です。

大阪の話は童話文学としても知られていますから、芥川龍之介の「仙人」と言ったらこの小説を思い浮かべる人が多いかも知れませんね。

どちらも青空文庫に並んでありますから、短いので読んでみることをおすすめします。

大阪が舞台の「仙人」のあらすじはこうです。

大阪の町へ奉公に来た権助が口入れ屋に仙人になりたいと申し出ました。すると、ある狡猾な医者夫婦のところで給金1文無しの奉公を二十年間することになります。二十年経ち、仙術など知るはずもない医者の女房は権助に「庭にある松に登って、両手を離さないと仙人にはなれない」と無理難題を押し付けます。ところが不思議なことに権助は木から落ちずに「おかげさまで仙人になれました」と言って空へ階段でも登るように一段ずつ登っていく、というものです。

もうひとつの「仙人」のあらすじはこうです。

李小二という人物が出会った仙人との物語が描かれています。李小二は見世物師として働いており、鼠を芝居に使う商売をしています。彼は、屋台のようなものを肩に乗せて、鼓板を叩き、人よせに歌を歌っています。雨期や冬場は商売にならず、彼は惨めな境遇にありました。ある日、雨の中、小さな廟に入った彼は、ある老道士に出会います。老道士があまりにみすぼらしく、李小二は同情と優越感を感じます。しかし、優越感ゆえにかえってすまない心持ちがしたので、自分の暮らしの苦しさを誇張し、老道士の窮状を正当化して話しました。老道士は笑って、あなたの暮らしぐらいは助けてあげると言います。そして、廟の中で紙幣をかき集め、足下にまき散らしました。紙幣は、無数の金銭や銀銭となって降り注いだのでした。

 

上・中・下の最後の下の章で、作者は老道士の言葉を引用した形でこう述べています。

「人生苦あり、以て楽むべし。人間死するあり、以て生くるを知る。死苦共に脱し得て甚だ、無聊なり。仙人は若かず、凡人の死苦あるに。」

最後に「恐らく、仙人は、人間の生活がなつかしくなって、わざわざ、苦しい事を、探してあるいていたのであろう。」という文で締めくくっています。

どちらの小説も芥川龍之介が抱く「仙人」のイメージが描かれているのでしょう。

ある時は憧れの対象として、そしてある時は教え導く者として、俗世から超越した存在です。

そして、仙術ができなければ仙人ではありません。