うぬぼれること、驕り高ぶることを「慢心」と言います。
仏教では、慢心に7つの種類があるとされ、それを「七慢」と呼んでいます。
その7つとは、慢・過慢・慢過慢・我慢・増上慢・卑慢・邪慢。
一つひとつをみてみましょう。
最初の「慢」は、自分より劣った者に対して「自分の方が優れている」と見下すことです。
ところが「過慢」は、同等である者に対しても「自分の方が優れている」と思います。自分より優れている者に対しては「同等である」と微妙に評価がずれています。
「慢過慢」は、とにかく他を見下していて、自分より優れている者に対しても「自分の方が優れている」とうぬぼれます。
「我慢」は、実はこの場合「耐え忍ぶ」という意味で使いません。自我に執着し、我尊しとうぬぼれることです。
「増上慢」は、まだ悟ってもないのに、「自分は悟った」と思うことをいいます。
「卑慢」は、自分よりはるかに優れている者に対して「自分は少ししか劣っていない」と思うことです。
「邪慢」は、自分に徳がないのに、あると思って「自分は偉い」と誇ることです。
文字だけを見ると、そんなことしないと思うかも知れませんが、人間というのはなかなか自分の煩悩には気づかないものです。知らず知らずのうちに「七慢」のどれかをやっているかも知れません。
