法句経(ダンマパダ)の中でも、放たれた言葉が厳しくてたじろいでしまうような偈があります。(真理のことば 中村元訳)その偈は、まるでブッダに厳しく問い詰められている気分になります。
146 何の笑いがあろうか。何の歓びがあろうか?—世間は常に燃え立っているのに—。汝らは暗黒に覆われている。どうして燈明をもとめないのか?
アルボムッレ・スマナサーラ師の原訳「法句経(ダンマパダ)一日一悟」では、もっと厳しいニュアンスが明らかです。
なぜ笑う。何が楽しい。
炎に包まれている(燃えている)のに。
暗やみに覆われているのに。
なぜ光を求めないのか。
「何に笑うのか?」という問いは、「笑っている場合じゃないだろ?」という指摘のようにも聞こえます。
つくづく人間というのは、不思議につくられています。
楽しむことばかりを追った生活を送っていると、結局すべてが台無しになるように仕組まれているかのようです。
外来で患者さんとよく話題にあがるのは、「おいしいものばかり食べていると健康を害するなんて、人間の体の設計者が神さまなら、大変ないじわるか、設計ミスですよね」というものです。
「今月はおいしいものが多かったから検査結果が悪いなあ」というのが反省の弁なんて、よく考えたら変な話ですよね。「おいしいもの」が悪いなんて。
でも、そうつくられているのが人間なのです。
お酒ばかり飲むと、心身を壊します。楽しいからといってゲームばかりしていると、依存症になって生活が廃れてしまいます。
楽しみばかりを追う生活は、正しい道とは言えません。
この偈では、充実感をもって満足できる人生を歩むために、燈明(知恵)を求めなさいと言われています。
問いただされて、「はい、すみません」としか言いようがありません。
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