先日、まど・みちおさんの詩を読んで、改めて気持ちが大きく動きました。
以前にNHKスペシャルでまどさんのドキュメンタリーが放送されたことがあって、その番組内でも取り上げられたことのある詩です。
まどさんと言えば、100歳を超えてもなお新作詩集を刊行するほどのお方ですから、それこそたくさんの詩があります。
若い頃の詩もそうですが、100歳の詩人の作品なんて、奇跡みたいなものです。
これを機会に、発表された詩を全部味わってみたいとも思うようになりました。
さて、先日出会った詩は「れんしゅう」というタイトルの詩です。
1日の終わりを経験することは、「死」の練習そのものにほかならないという詩ですが、日頃から老いをみつめて死のお迎えを意識していなければ書けないような詩です。
私がもっと歳をとった時に、この詩を読むとまた違ってくるのでしょう。
れんしゅう
今日も死を見送っている
生まれては立去っていく今日の死を
自転公転をつづけるこの地球上の
すべての生き物が 生まれたばかりの
今日の死を毎日見送りつづけている
なぜなのだろう
「今日」の「死」という
とりかえしのつかない大事がまるで
なんでもない「当り前事」のように毎日
毎日くりかえされるのは つまりそれは
ボクらがボクらじしんの死をむかえる日に
あわてふためかないようにとあの
やさしい天がそのれんしゅうをつづけて
くださっているのだと気づかぬバカは
まあこのよにはいないだろうということか