最近知ったのですが、「機嫌」という言葉はもともと仏教からきた言葉なのだそうです。
私たちが使う「機嫌」とは、辞書にあるように「表情や言葉、態度にあらわれる、その人の気分のよしあしのこと」を言います。「ごきげん」と言ったら、気分のよいことや心持ちの愉快なさまのことですね。
仏教でいう「機嫌」の「機」は、実は「譏」から転化したもので、正しくは「息世譏嫌戒」という戒律の名前からきたものだそうです。
譏という字は「そしる」という意味、嫌は「きらう」ですから、「譏嫌」は「他人からそしりきらわれる」という意味です。
もともと仏教では、僧侶は人々からそしられるようなことをしてはいけないという自戒をこめてつかわれた言葉でした。
そこから、人の譏(そし)りを気にして、その人の気分をやわらげたり、喜んでもらうような働きかけをすることを「ご機嫌を取る」と表すようになったのだそうです。
そして、やがて「機嫌」は「人の気分の快・不快の状態」を意味するようになりました。
私たちの望みは、常に心身ともに健康的な状態でいること、ですね。
「ごきげんは身につける最高のアクセサリー」という言葉もあります。
自分の感情に向き合って、自分のご機嫌は自分でとるような人でありたいものです。
