この小説はデンマークの女性作家ヤンネ・テラーが、13歳から17歳の若い読者を対象に書いたものなんだそうです。
デンマーク国内はもとより、各国で訳版が出版されると同時に素晴らしい書評が出て、世界中で文学賞を受賞した作品なんだそうです。
という、2つの「…なんだそうです」の情報が、私がこの本を手に取ったきっかけだったのですが、久しぶりに読後、どう解釈していいのか、どう昇華させるべきなのか(あるいは、凝固・沈殿させるべきなのか?)判断に困る作品でした。
私の場合は、たぶん、少年時代のほろ苦い心象風景を想起させる内容だったからかも知れません。
以下は、アマゾンに掲載されている「内容紹介」の抜粋です。
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『意味のあるものなんて何もない。それはずっと前からわかってた。だから何をしたって無益だと、たった今、気がついた』
「人生は無意味だ」と、突然学校をやめてしまったピエール。
「そんなことはない」と、人生には意味があることをわからせようと、中学1年生のクラスメイトたちはピエールを説得をするが、言葉巧みにやり込められてしまう。
彼らは、ピエールを見返すために自分たちにとって「意味のあること」を集め、彼に披露することにした。
何度も読み返した大好きな絵本、お気に入りのサンダル、サッカーボール、イヤリングetc…
やがてそれらは、広場に積みあがるまでになった。まるで競うかのように互いの大切なものを出し合うクラスメイトたち。次第にルールが変化し、提出した人は、次に大切なものを出す人とその提出物を指名できるようになるのだが、その要求はだんだんとエスカレートしていき……。
子供たちは、人生の意味を見つけることができるのか?そして、うず高く積まれた「意味の山」の行く末は?
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ピエールの理屈は、これから世の中を生きようとする若者が、程度の差こそあれ、人生の途上でいつか遭遇する「虚無感」に満ちており、どこか自分自身と重ね合わせてしまうものです。
私も、少年時代、思春期を深い虚無感が覆い、それは時には深い絶望感と言い換えても良いぐらいの暗い闇をさまよっていました。
ただ、私がピエールのクラスメイトと違ったのは、「人生の意味」を探ろうと(証明しようと)躍起になることもなく、かと言ってピエールのように声高に主張することもなかったということだけです。
実際に行動を起こさず、巣籠りしていたことが、私にとっては幸運だったのだと思います。
「人生に迷ったら、息をするように『今ここ』を生きるしかない」ということを、意図せずに実践していたわけですから。
「人生の意味」という命題は、古代から、哲学者や宗教者たちがずっと追い求めてきたものです。
やすやすと答えの出ないその問いに、クラスメイト達は翻弄され、自分を見失い、破壊的になっていきます。それは、人類が歩んできた悲劇の歴史の焼き直しのようにも見えます。
この小説は、13歳から17歳の若い年代に向けて書かれたものだと聞きました。
私が、若い読者を信用していないからなのか、日本の文化で育った若者たちがどう受け止めるのだろうと思いました。
ピエールたちの場所からの出口を、日本の若者たちは見つけることができるのでしょうか。