私はお酒をあまり飲まなくなってから、だいぶ経ちます。
と言っても、勧められたり相手がある時には飲みますが、ひとりでは飲まなくなりました。
父方の血を受け継いでいるらしく、もともとがあまりお酒に強い方ではありません。
しかし、大学時代には先輩や同僚たちと酒席で熱く語り合うのは刺激的で魅力的でしたし私にとっては大切な時間でありました。あの時代に夢を語り合う関わりが持てたのは素晴らしい経験だったと思います。
その場を経験していくうちに「鍛えて飲めるようになった」タイプの人間なので、飲まなくなったら途端に飲めなくなりました。
さらに、性格的にどうしても「酒を飲むのではなく、飲まれるタイプ」なので、酒の席にまつわる失敗談が山積していて、心身ともに健康でいるためには、今の方が良いのだと思っています。
五戒のうちの「不飲酒」を、あまり苦労せずに守っている感じです。
そんな私でも「ああ、わかるわかる。本当にそうだよなあ」と膝を叩いた言葉を見つけました。
「人生一生 酒一升 あるかと思えば もう空か」
人生をお酒に例えているあたり、酒呑みの言葉なんでしょうが、わかります。
夢中になって時が経つのも忘れている時に、ふと我に返ると残りがもうわずかになっている。
「少年老い易く学成り難し」が正攻法なら、この「酒一升」は私達オヤジたちの心の叫びに近いものがあります。
残りのお酒をちびりちびりいくか、ぐっと飲み干してしまうか。
実はですね。裏技があります。
沖縄の古酒(クース)には、「仕次ぎ」という手法があるのです。これは、古酒をつくる際には欠かせない作業です(笑)。
最低でも、年に一度仕次ぎすることで、おいしいお酒をつくることができます。
人生にとっての「仕次ぎ」とは何になるのでしょう?
自分にとっての「仕次ぎ」を探していくのも、必要かも知れませんね。