横尾忠則さんが、前に「風は神」とつぶやいていました。
おっしゃる通りで、日本には昔から「風神」「雷神」がいます。日本の神は八百万(やおよろず)ですものね。
思いつく単語に「◯◯神」をつけたとしても、立派な神として存在していそうです。
例えば、月神、海神、石神、水神、地神、天神…。
これらの日本の神々は、肉体的な特徴を持たない神です。同じ多神教でもヒンドゥー教とは違います。
人々は、そこに「神力」が宿っていると畏れます。目に見えなくても、そこに存在していると信じれば、立派な神になります。
だから「風」も立派な神です。
それどころか、こんな神もいるのですね。
平安時代末期に編まれた歌謡集「梁塵秘抄」の中で、こんな文があります。
「隣の大子(おほいご)がまつる神は(略)、指の先なる てづつ神、足の裏なる あるき神」
てづつ神(拙神)とは、指の先についた「不器用の神」のこと。
あるき神(歩行神)とは、人をそぞろ歩きに誘い出す神のこと、そぞろ神とも言うそうです。
一見、欠点に思えるようなものも「神」と呼ぶあたり、善悪の垣根を越えて「人の力ではどうしようもないもの」を神としていたのでしょう。
そう言えば、貧乏神がそうですね。疫病神もそうです。
自分の欠点を「神」と名付けて、客観視していくのも良いかも知れません。
例えば、「小動物が苦手なおくびょう神が出てきた」とか、「決めきれないウジウジ神が出ちゃってるなあ」とか。
自分を客観的に観察する、昔の人のユーモアですね。