私は、ほぼ日の「今日のダーリン」の愛読者です。
毎日更新される「今日のダーリン」に、わが意を得たりと共感したり、思いもしなかったことにヒントを得たり、糸井重里さんの肩肘張らない言葉の数々にいつも心を動かされています。
昨日の「今日のダーリン」では、1日の終わらせ方のお話をされていました。
糸井さんは「今日はイヤな日だった」と思って終わることが、最近ないのだそうです。
どういう日だったか?という問いがなく、いいとかわるいとかなくて、「終われてよかったぜ(ふ〜っ)と。」そう寝床に入るのが1日の終わり方なのだそうです。
つまり、終えられたら善しとするだけ。
糸井さんの次の言葉に、はっとしました。
「『テストはいっぱい受けたけど、採点することもない』というような、出来のわるい小学生みたいなものだ。」
これと同じような話を、「路上スナップのススメ」で、カメラマンの森山大道さんがお話していたのを思い出しました。
森山さんはデジタルカメラを使うようになって、撮る量が確実に増えていったそうです。モニターの画像をみると、イメージがどんどん膨らむのと並行して、撮る欲も膨らんでいきました。
そうはいっても、森山さんは撮ったそばからモニターを積極的に見返すことはしないそうです。
「撮影帰りのタクシーのなかでさ、暇だから見たりはするけれど、あんまり見たくはないね。昨日もけっこう撮ったけど、全然見てない。」
「全部を反芻する行為っていうのはさ、スナップの行為とはある意味、矛盾すると考えてるから。基本的なところで相容れないというか。」
「だから、いまからデジタルでスナップを始めようとしている人には、撮ったものをいちいち見返すな、と言いたい」
糸井さんの言っている「その日が過去になっている時間帯にいるのだから、いいだのわるいだの言おうが言うまいが、もう済んでしまったことなのだ。」という1日の終わり方と、森山さんの「いちいち見返さない」というスナップ写真の捉え方が、ちょっと似ていて面白いと思いました。
瞬間を濃い密度の中で生きている人の、実感から湧いてきた言葉なのかも知れません。