「日常的サディズム」を理解すること

 

ネットがこれほど普及していない時代でも、「憐れむべきは被害者なのに、その被害者を非難し攻撃する」というのは、普通に見られていたように思います。

最近、「Journal of Personality and Social Psychology」に発表された研究が、この問題を改めて取り上げています。

研究によると、日常的に他人の苦痛から快楽を得る「日常的サディズム」が高い人というのがその傾向が強いのだそうです。

「日常的サディズム」という言葉を聞くと、少しぞっとするかと思います。

そして「自分には関係ないこと」と片付けてしまうかも知れません。

しかし、実はこの言葉、私たちの身の回りにある意外と身近な感情や行動を指しています。

まず「サディズム」というのは、他人が苦しんだり困ったりする様子を見て楽しむ、あるいは快感を得る心理状態のことを言います。

これは、映画や小説の中の悪役の特徴として描かれることが多いですが、「日常的サディズム」は、そういった極端な例ばかりを指すわけではありません。

例えば、友達がつまずいて転んだ時に、思わず笑ってしまったとき。

これは、友達が大怪我をしたわけでもなく、ちょっとしたハプニングに対する反応です。

このような小さなことで他人の失敗を楽しむ心理状態が、実は「日常的サディズム」の一例です。

ただし、これは人を傷つける意図があるわけではなく、日常生活の中で自然に起こり得る感情の一つです。

この「日常的サディズム」は、人によって程度の差があります。

研究チームは、日常的サディズムが被害者非難にどのように影響するかを探求しました。

2,653人の参加者を対象に行われたオンライン調査では、性的暴行やいじめの被害者に対する非難が、特にこの性向が高い人々の間で顕著であることが示されました。

この性質が強い人は、他人が困難に直面している時、その人に対して共感を感じにくかったり、その人自身が原因で困難に陥ったのだと思いがちなのです。

例えば、誰かがいじめられているのを見て、その人に何か悪いことがあったからそうなったのだろうと考えます。

このような考え方は、他人に対する理解や支援を阻害してしまいます。

この研究からわたしたちが学ぶべきは、被害者を非難することの根底にある心理的要因を理解し、それに対抗する方法を見つけることです。

共感や同情は人間の本質的な特徵であり、それを奪われることなく、互いに支え合い、助け合う社会を築くことが、わたしたちの使命の一つであるべきです。

最終的に、この研究は私たちに大切な教訓を与えています。

それは、被害者を非難することは、単に彼らの不幸に対する誤った解釈にすぎないということ。

そして、このような行動や態度が、より深い心理的な要因から生じていることを認識し、それに対処することが、私たち一人ひとりに求められています。

 

元論文:

Sassenrath C, Keller J, Stöckle D, Kesberg R, Nielsen YA, Pfattheicher S. I like it because it hurts you: On the association of everyday sadism, sadistic pleasure, and victim blaming. J Pers Soc Psychol. 2024;126(1):105-127. doi:10.1037/pspp0000464