怒ってしまったら、だいたい後に後悔します。
感情にまかせて怒ってしまったら、なおさらです。
気持ちがフトゥフトゥしていますし、ずっと尾を引きますし、「この怒りは正しかったのかな?」と自問自答です。
「怒り」について、昔から多くの賢人たちが頭を悩ませ、考えを巡らせてきました。
まず、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、「怒りにも適切なタイミングがある」と言っています。
たとえば、大事な用事があるのに別の用事を言いつけられる…こんな時、怒りたくもなります。
アリストテレスによれば、この怒りが正しいかどうかは、その状況次第。前もって相談をしていたか、言いつけられた用事が適切かどうか、そういったことを考えて、怒るべきか、許すべきかを見極める必要があるとのことです。
一方で、ストア派の古代の哲学者たちは、「怒りは無駄」と考えていました。
人生は予測不可能なことでいっぱいです。
だからこそ、流れに身を任せ、怒りに振り回されずに生きるべきだと。
自然災害のように、どうにもならないことに対して怒るのは、時間の無駄というわけです。
では、怒りが湧いてきた時、私たちはどうすればいいのでしょうか。
インドの哲学者、シャンティデーヴァは、「人は感情に振り回されやすいけれど、その感情に流されずに冷静を保つべき」と教えています。
つまり、怒りに対処するためには、自分の心を落ち着け、平和を保つことが大切です。
そして、PFストローソンという哲学者は、怒りも人間関係を築く上で大事な役割を果たしていると言います。
怒りは、何か間違っていると感じた時に、その不満を伝える手段になるわけです。
これは、お互いをより良く理解するための一歩とも言えます。
では、社会において不正が行われている場面での怒りはどうでしょう。
歴史を見ても、不正に対して「これはおかしい!」と立ち上がった人たちの怒りが、社会を変えてきた例は数多く存在します。
しかし、ガンジーやマーティン・ルーサー・キング・ジュニアのような偉人たちは、怒りに身を任せると、その怒りが人を苦しめることにもなり得ると警鐘を鳴らしています。
このように、「怒り」に対する考え方は、古今東西さまざまです。
大事なのは、「今、この怒りはどう扱うべきか」ということを自分自身で見極めること。
怒りは時には正義のために必要な感情ですが、それに振り回されず、その力を正しく使うことが肝心です。
日常生活の中で感じる怒りも、大きな社会問題に対する怒りも、それぞれに正しい対処の仕方があります。
怒りを感じたら、まずは深呼吸して、なぜその怒りが湧いたのか、その怒りをどう表現するべきかを冷静に考えてみること。
怒りという感情は、理解して使い方を間違えなければ、私たちの大切な指針となり得るのですから。
だけど、あえて言います。
そんなことは、怒っていない今だから、言えることです。