「投身飼虎」(ジャータカより)

 

「ジャータカ」は古代インドの仏教説話を集めたものです。釈尊が前世において菩薩であった時にどんな善行を重ねてきたのかをつづったものです。

釈尊が前世で幾多の生を重ねるうちに、象、サル、孔雀、うさぎや魚などの動物として生まれた時の話や、人間として生を受けた際には国王、大臣、長者、庶民、盗賊などの時に種々の善行功徳を行ったという物語が集められています。

このなかに「投身飼虎」(または捨身飼虎)というお話があります。かなりの凄まじさで、「え?そこまでする?」と思わずひいてしまうような内容です。

こんなお話です。

 

「インドにマハーラタという国王がいました。彼の国は富み栄え、いつも正法をもって国民を導いていました。彼には3人の王子がいて、兄をマハーパーラ、弟をマハーデーヴァ、幼弟をマハーサッタと呼びました。

ある日、3人の王子は森に遊びに出掛けました。すると、7匹の子を連れた母虎に遭遇しました。親子の虎は大変飢えており、痩せ衰え、餓死寸前でした。王子たちは、飢えのあまりあわや自分の子を食べようとしている虎を目の当たりにし、マハーパーラとマハーデーヴァの2人の兄は憐みの心を持ちましたが、末のマハーサッタに向かって「虎は豹や獅子と同じく生肉や生血を食べている。私たちはこの虎の飢えを救うことはできない」と話し、その場を立ち去ってしまいました。

しかし、マハーサッタは、この虎の親子を救うことに固く決心しました。彼は、「人はみな自分の身を愛して他に恵むことを知らない。優れた人は、大慈悲の心をもってわが身を忘れて他を救う。私は百度千度生まれ変わっても身体は腐りただれるだけです。この身は変わりゆくもので、常に求めても満たしにくく、また保ち難い。今私はこの身を捨て、飢えている虎の親子を救ってあげよう。」と思い定め、少しも躊躇することなく進んで虎の前に身を委ねました。虎たちは、いくら飢えているとはいえ、何も危害を加えない人間にかみつくことはできませんでした。そこで、マハーサッタはかたわらに落ちていた先のとがった竹棒で自分のからだを突き刺して血を出し、崖によじ登って虎の面前に身を投じました。この時、大地は大きく振動し、日が陰って昼間なのに薄暗くなりました。虎たちは、王子のからだを咬み、血をすすって飢えを満たし、山中深く立ち去って行きました。」

 

この物語は、マハーサッタが自己犠牲精神を示し、他人を救うことの大切さを教えていますが、一方で兄たちが悪いわけでもありません。兄たちは憐みの心を持ちながらも、現実的な視点から助けることができないと判断したわけですから、人間ならば当然のことです。

実は、マハーサッタが過去世の釈尊の姿なのでした。

転生のうちに徳を積んできた釈尊だからこそ可能な行為で、形だけ軽々しくまねるべきことでもありません。

捨身の比喩については、真意を読み解かなければ、ただの「頭のイカれた野郎」の話になってしまいます。