随筆「土下座」

 

「土下座」は、哲学者・倫理学者として知られる和辻哲郎による随筆です。

短い作品なので、原文を読むことをおすすめします。青空文庫で読むことができますので、リンクを貼っておきますね。

こちら → 「土下座」

 あらすじです。

  

「ある男性が祖父の葬式に参列しました。祖父は半世紀以上にわたり、この田舎で心から親切な医者だったこともあって、多くの人が参列しました。葬式が終わり、会葬者への挨拶のため風習に従い土下座した男が、目の前を通っていく地元の人の足を見ながら、彼らと心を通わせる様子が描かれます。彼らと自分との関係が、正しい位置に戻されたように感じるのです。彼は土下座したことで、自分が思いもよらなかった謙遜な気持ちになれたと述べています。同時に現在の社会組織や教育が知らず知らずのうちにいかに人と人との間を隔てているかということにも気づきます。」

  

次の文章が印象的です。

「彼の知らなかった老人の心の世界が、漠然とながら彼にも開けて来ました。彼は土下座したために老人に対して抱くべき人間らしい心を教わることができたのです。」

そして、最後の段落で「心にあるひび」という表現が出てきます。都会の文明の片鱗を見せたような無感動な目を向けられた時に彼は思ったのでした。

 

「(中略)彼はその時、昨日から続いた自分の心持ちに、少しひびのはいったことを感じたのです。せっかくのぼった高みから、また引きおろされたような気持ちがしたのです。」

 

風習に従って土下座をしたとは言え、まるで浄化された心持ちになった男でしたが「心にひび」が入っていることに気づきます。

「心にあるひび」は、人間が内面的に抱える問題や葛藤のことなのでしょう。

 

「それは偶然にはいったひびではなく、やはり彼自身の心にある必然のひびでした。」

 

「このひびの繕(つくろ)える時が来なくては、おそらく彼の卵は孵(かえ)らないでしょう。」

 

では、どうしたら良いのか。その答えはないまま作品は終わっています。

土下座という行為、そこから感じた人とのつながり、人間らしい心。ところが、必然にある「心のひび」。

私達自身がそれぞれ持っている「心のひび」に向き合ってみる必要があります。