「55歳の挑戦」

 

「五十の手習い」あるいは「六十の手習い」(なんなら七十、八十、九十でも!)という諺があります。

勉学や習い事をするのに年齢制限はなく、たとえ晩年になってスタートしても遅すぎることはないという意味で使われます。

そういう話をすると、必ず引き合いに出されるのが伊能忠敬ですね。

49歳で隠居し、50歳の時に江戸に出て、天文学や暦学を学び始めました。第一次測量を開始したのが、55歳の時。その出発前に幕府に送った手紙が「隠居の慰みとは申しながら、後世の参考ともなるべき地図を作りたい」というものですから、年齢に対する意識は強かったと思います。

伊能忠教は、測量だけでなく、天明の大飢饉では地域の窮民の救済に尽力し、私財を投じて米や金銭を分け与え、地域住民からの信頼も厚かったとされています。

同じく55歳の時に立ち上がったとされるのが、鑑真です。

688年、唐の揚州に生まれた鑑真は、14才で出家し、多くの僧侶に授戒しました。授戒とは、仏門に入る者に仏弟子として生きるための戒律を授けることです。誰もが授戒できるわけではなく、釈迦から続く正当な伝承者としての資格を有する者のみができるのです。

日本の聖武天皇は、栄叡、普照という2人の僧を唐に派遣し、授戒のできる人物を日本に連れてくるよう命じました。

日本からの授戒依頼に応じ、来日を決意したのが鑑真だったのですが、この時すでに彼は55歳。

しかも決意してから実際に来日するまでに、10年以上の歳月を要し、6回目でやっと渡航に成功したというのは皆さんがご存知の通りです。(当時は大変危険を伴うもので、5回目に失明しました。)

伊能忠敬や鑑真の「55歳からの挑戦」は、「五十の手習い」と言うにはあまりにも壮絶ですが、私たちに勇気を与えてくれるものです。