小説「われら闇より天を見る」

 

 

この作品は、「このミス」や「文春ミステリーベスト10」で1位を獲得したものです。しかし、読み進めていくと、ミステリーというよりも哀しいヒューマンドラマとして捉えるべきだという気になっていました。

この小説の原題は「We Begin at the End」、つまり、「人は終わりから始める」というタイトルです。

主人公の少女、ダッチェスは自らを「無法者」と呼び、常に無法者として振る舞おうとします。彼女にとっての無法者とは「なめたまねをさせない人」のこと。

彼女の大事なものを傷つけた場合、傷つけた者は必ず報いを受けることになります。時には、彼女が報いを受けさせるためにしたことが、彼女の守ろうとする大事なものを傷つけたとしてもです。

ダッチェスは、頼りにならない母親と、自分を頼る小さな弟を抱えていました。そのため、生きることが常に戦いでした。彼女には守らなくてはならないものがあり、守ってくれる人はいませんでした。ですから、彼女は「十三歳になったばかりで、一度も泣いたことがない」と言われています。

物語は、複雑に交差した人と事件の因果関係を描いています。

すべての元凶は、一体誰なのか?(そもそも、指し示すことができるのか?)

運命の分岐点になったのはいつ、どこだったのか?

後になって「あの時あんなことをしなければ」と悔いたところで、その運命の分岐点まで戻ってやり直すことはできません。

私たちは精一杯の努力をする。あるいは、とんでもなく愚かな過ちを犯す。もしくは、その両方を同時にやってしまう。

すべてが終わってしまったように思えた時、それでもきっとそれは「すべての」終わりではない。ある登場人物の台詞にあるように、「人は終わりからまた始める」のです。