「高次の不満」

 

私は「ワンパンマン」の愛読者です。ONE先生の原作の方も更新を待ち遠しくしている方です。

私が好きなシーンは、15巻のワンパンマンことサイタマとキングの会話のシーン。地味ですが、サイタマの悩みをキングが答えるシーンは、物語全体のテーマにつながっていて、とても印象に残っているのです。

まず、サイタマがトボトボと歩きながら、ため息をついています。彼の口から漏れてしまうのは、どんな敵もワンパンチでなぎ倒してしまう、最強無敵のヒーロー、サイタマの嘆きです。

格闘技の大会で超一流の武術怪人と戦っても「何も得ることがなかった…」と寂しそうにつぶやくサイタマ。そこに偶然にキングが通りかかります。

「暗い顔してどうしたの?」と尋ねるキング。サイタマは「俺は強くなりすぎたんだ」と嘆き、「強くなり過ぎて…誰と戦っても何も感じないし…技を見ても何の参考にもならない…他人から吸収できるものが何も残ってないんだ」と答えます。

そして「伸びしろが残ってないということは、自分の成長を楽しむことがもうできないってことなんだ。いくら怪人を退治しても心の中は退屈でしょうがない」と重ねました。

それを受けて、キングは(なぜか上から目線で)サイタマを諭します。

「サイタマ氏は強くなっただけで目的地に辿り着いたと勘違いしているんじゃないかな?戦いの中に充実感を得ようとするのはヒーローの本質的に間違っている。人助けや世の中の役に立つことにこそヒーローの存在意義があるのではないか。この点で言うと、サイタマ氏は最強のヒーローであっても、最高のヒーローにはまだなれていない…、そう考えることができるはずだ」

そして、さらに続けます。

「だとするとどうだろう、もう自分は成長しきったなどというセリフは浅はかで傲慢…。未熟がゆえに出てきた恥ずかしい発言だと思えてこないかな?『最高のヒーローとは何か?』その答えを見つけ出すまでは退屈してる暇などないはずだ。」

最近、私が読んだ マズローの「完全なる人間」にこんな一節があります。

「一つの欲求の満足と、その結果としての舞台の中心よりの移動は、空白状態あるいはストア的無感動を生ずるものではなく、また別の「より高次の」欲求を意識にもたらす。すなわち、願望や欲望は続くが、「一段高い」水準でみられるのである」

人間の欲求は「不満→満足」で完結するわけではありません。そのあとに高次の不満が現れてくるというのは、自然の流れですね。

ワンパンマンことサイタマの虚無感が、高次の不満によって解消されるのか?

ファンとしても、楽しみにしたいですね。