忘年会の由来

 

夕方、ラジオのパーソナリティーが「忘年会」についてうんちくを語っていました。(私は番組の途中から聞きました。)

彼曰く「忘年会の由来は本来「歳忘れ」であって、どの人も歳の差を気にしないぐらい互いに語らい、楽しみましょうという意味」というようなことを言っていました。

私は社会人になって30年以上経っていますが、恥ずかしながら初めて聞く説です。

忘年会は、その年の労をお互いにねぎらう会で、当然のように忘年会の「年」は1年の「年」だとばかり思っていました。

ちょっと気になって、調べました。まずはWikipediaから。

 

「としわすれ」という言葉を用いた最古の例としては、室町時代の皇族・伏見宮貞成親王が認めた『看聞日記』で、1430年(永享2年)12月21日の記録として出てくる「先有一献。其後連歌初。会衆如例。夜百韻了一献。及酒盛有乱舞。其興不少歳忘也。」という文章である。これは、年末に催された連歌会が大変に盛り上がり、その様子がまるで「としわすれ」のようだと述べたもので、この頃には既に民衆行事として「としわすれ」と呼ばれる、酒を飲んで乱舞する行事が存在していたことを示している。

 

「その様子がまるで『としわすれ』のようだと述べた」と触れられていますが、さてこれがパーソナリティーの言うように「歳の差を忘れる」という意味としていいものなのか…。

きっと「其興不少歳忘也」が問題の部分ですね。「その興(面白み)は少なからず歳忘れであった」とでも訳されるのでしょうか。う~ん、どうもはっきりしない。

「看聞日記」の原文の前後を読まなければ真相がわからないのかな?と思って、いろいろと検索してみたら、ネットにある「忘年会」についての見解は、ほとんどが園田 英弘著「忘年会 (文春新書)」が出典のようですね。

その本で、著者は忘年会の意味をこうまとめていました。

1)自分の老いを忘れる程面白く思う事

2)年齢の差を気に留めない(長幼を論じない)こと

3)その年の苦労を忘れること

なるほど。私のモヤモヤを解消するほどの包容力でまとめていただいておりました(笑)

ところで、「忘年会」という言葉を初めて世に出したのは、夏目漱石だという説があるそうです。

「吾輩は猫である」で、こんな一節があります。

  

(前略)

「おや君も首を縊りたくなったのかい」

「いえ私のは首じゃないんで。これもちょうど明ければ昨年の暮の事でしかも先生と同日同刻くらいに起った出来事ですからなおさら不思議に思われます」

「こりゃ面白い」と迷亭も空也餅を頬張る。

「その日は向島の知人の家で忘年会兼合奏会がありまして、私もそれへヴァイオリンを携えて行きました。十五六人令嬢やら令夫人が集ってなかなか盛会で、近来の快事と思うくらいに万事が整っていました。…(後略)

 

会話の中での登場なので、その頃の一般の人たちが日常的に遣っていたんじゃないかとも思うのですが、今の忘年会の形式になったのは明治時代からだそうですから、案外真実なのかも知れませんね。