悪因苦果・善因楽果

 

ラフカディオ・カーンの「怪談」がそうであるように、我々日本人には目に見えないものや得体の知れないものに畏怖の念を抱きながら、それを共通の体験として共有するようなところがありますね。水木しげる先生の妖怪漫画もそうです。

「こわい話」には人を引き付ける魅力があります。

仏典にも(?)幽霊話ばかりをおさめた経典があります。

小部経典の「餓鬼事経」というお経がそれです。私も幽霊話は好きな方ですし、興味が湧いたので、現代語訳されたのを読んでみました。

ところが、これがあまり怖くないのです。

例えば、「ウッパリの章」はこんな感じです。

 

サーリプッタ長老がその者に尋ねた。

「あなたは醜くやせ細り、体中の血管が浮き出ています。いったい誰なのですか?」

相手はそれに答えます。

「私は女餓鬼としてこの世にあります。悪しき行為が原因でこの餓鬼の世に赴いたのです。」

「いったいどのような悪行の報いなのですか?」

「私に慈しみはありませんでした。父母や親族は私に『布施を施しなさい』とすすめてくれたのですが、それを断り続けました。そのため500年の間、飢えや渇きによって食い尽くされながら、餓鬼の世を彷徨い歩かなければなりません。」

 

50ぐらいの幽霊の身の上話がそんな調子で続くのです。

しかも、これらの幽霊は自分の悪因苦果を素直に認めていますし、何なら善因楽果を相手にすすめてしまうことまでしています。

この「餓鬼事経」は、相手を怖がらせるのが目的ではなく、自業自得の原則を修めてもらうというのが主旨ですから、そんな感じになってしまうのでしょうね。

けれども、よくわかった気がします。正体不明だったり理解不能で得体が知れないから怖いのであって、身の上話をしてくる幽霊はちっとも怖くないのだということ。