太陽雨と虹

 

禅語に「法身説法」(ほっしんせっぽう)という言葉があります。

「精選版 日本国語大辞典」によると、こんな解説です。(詳しすぎて意味が通りにくい気がしたので、少し我田引水的に省略して紹介します)

 

ほっしん‐せっぽう ‥セッポフ【法身説法】

〘名〙 仏語。

① 日本の真言宗の教義で、大日如来が一切の根源である本地身としての法身の位において自ら説法するということ。(略)

② 法身はあらゆる形をとって現われるので、虫の声、風の音もすべて仏の説法であるということ。

 

つまり、「自然界のもの、この世の全てが私たちの先生である」という意味です。

雲や風などの自然現象も、私たちに気づきを与えてくれます。

月を眺めては「月が雲に隠れても、大丈夫。ここにいる」と、自分を励ますきっかけを作ってくれますし、小鳥のさえずりを聞いては小さな命の営みに感銘を受けるものです。

今日の夕方、仕事を終えてクリニックが入っている建物を出ると、盛大に天気雨(ティーダアミ)が降っていました。

片降(カタブイ)は沖縄の夏の季語にもなるほど、わりとよく見られる現象です。

「太陽雨だ!」と思った瞬間に、反射的に太陽の反対側の空を探しました。建物が邪魔だったので少し小走りに駆け出しました。

やっぱりあった。そこに大きな虹がかかっていました。

もちろん濡れましたが、お構いなしにスマホカメラで写真におさめました。

スタッフ間のLINEグループに写真を共有すると、虹にちなんだ、こんな素敵な言葉を紹介してくれました。

「No Rain, No Rainbow」(うまくいかないことがあっても、きっといいことがある)

虹も私たちの先生になってくれます。