今日は「三線の日」なんだそうです。
もちろん、3月4日にちなんだものですが、正式名称を「ゆかる日 まさる日 さんしんの日」というのだそうです。
琉球放送の上原直彦さんの提唱により1993年から始まったものです。(上原直彦さんと言えば何と言ってもラジオの「民謡で今日拝なびら」が有名ですね。)
このさんしんの日、ただの語呂合わせなのだろうと思っていたら、思い入れの度合いがそこらへんの語呂合わせとはだいぶ違うようです。
琉球放送のサイトに「さんしんの日とは」という説明が載っていますから、詳しくはそこをご覧ください。下にリンクを貼っておきます。
そこの説明では、「ゆかる日」とは「佳かる日」「佳日」で良き日という意味、そして「まさる日」は「優る日」「勝る日」で縁起の良いものにしようという意図が込められています。
第1回のメイン会場が、読谷村である理由にもなるのですが、重要なキーワードは「赤犬子」なんですね。(「あかいんこ」と読みます。)
「さんしんの日」になぜ「赤犬子」なのか?
日本歴史大事典で「赤犬子」(あかいんこ)を調べてみると、こんな説明が載っています。
(生没年未詳)
沖縄の尚真王時代(1477~1526)の伝説的人物。
古歌謡おもろ歌唱の名手といわれ、歌三線の始祖と崇敬される。
出身は読谷村阿嘉(よみたんそんあか)、名称の「あか」は地名に由来し、犬は童名、子は美称語。
沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」巻8に「阿嘉の子」「阿嘉のお祝付き」などとあり、新築や祝い事に祝福のオモロを歌った。
読谷村楚辺に赤犬子宮がある。
(ここまで)
生まれた時からそこにあるというのは、当然あるものとして認識していますから、不思議にも思いませんが、三線にももちろん始まりはあるわけで、その始祖として崇められている人物だったのですね。
ブリタニカ国際大百科事典にも「音楽の天才で、琉歌に三線伴奏をつけて広め、かつ芸術的にも高めたといわれる」とありますから、なんともすごい方がいたものだと思います。
その楽器とともに天才が生まれてくるのは、世の中がその天才を必要としているからなのでしょう。時代が生んだというのは大げさではないと思います。
3月4日は、さんしんの日。
ちょっと調べただけでもこうですから、かなり奥が深い記念日です。