「好き」は原動力

 

オタク文化やマニアの有様が普通になっていくにつれて、世の中に素直に受け入れられるようになってきたと思います。

ちょっとびっくりはされますが、「そんなこともあるさ」という具合です。

興味があるもの、好きなものには、熱意と情熱を注いで当然ですし、傍から見たら「度が過ぎている」と思われたとしても、当の本人が幸せなら良いでしょう。人がとやかく言う筋合いのものではありません。

そういうことがだんだん当たり前になってきていると思います。

オタクが、時に尊敬の対象にまでなっているのを感じるのです。

私も、ビートルズが好きですし、マジック愛好家ですし、ランニングやギターが好きです。

だから、誰かが何かを好きと言っても、共感こそすれ、私が驚くことは滅多にありません。

そのはずでしたが、その私でも先日びっくりしたことがありました。

将棋棋士の藤井聡太君を好きだと教えてくれたその方は、どんなに好きかを一通り並べたあとに、こんなことを言いました。

「彼がどんな将棋を指すか気になるじゃないですか。だから棋譜を読むようになったんです。」

「ほほう。それは本格的ですね。もとから将棋はお好きだったんですか?」と私。

「いえいえ。将棋の「し」の字も知りませんでした。」

「へえ。それで棋譜を見てわかるんですか?」

「勉強して、読めるようになって…。今は藤井聡太君の対局があったら、動画で一手から投了するまでずっと見ているんですよ。」

「えぇっ!あれって10時間とか越すこともあるんでしょう?」

「はい。ずっと見てます。」

「…。将棋、知らなかったんですよね?」

「はい。」

「今は、もしかして指せるようになったとか?」

「小学生ぐらいになら教えられるかも知れませんね。あはは。」

世間でも藤井聡太君のことを好きだと言うのはよく聞きますし、たいていは彼をアイドルか何かのように扱うことが多いのだと思います。

この方の場合は、「藤井聡太君好き」→「すべてに興味」→「どんな将棋を指すの?」→「棋譜っていうのがあるらしい」→「読めるようになった」→「実際の対局は?」→「最初から最後まで見届ける」

この人の「好き具合」には、さすがの私もおったまげました。

いやあ。素晴らしいです。ここまで好きになって夢中になれれば、あっぱれですね。

そういうことを聞くと、あまりに楽しそうなので、こっちも嬉しくなってしまいます。