仏語「自業自得」

 

「自業自得」という言葉は、ほとんどの辞典で「自ら行なった行為はその報いを自分の身に受けなければならないということ。また一般に、自分の行為の結果を自分の身が受けること。」(精選版 日本国語大辞典)という意味です。

「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」ではさらに詳しい説明が載っています。

「仏教用語。みずから行なった善悪の行為によって,本人自身がその報いを受けること。よい行為によってよい結果がその本人に生じ,悪い行為によって悪い結果がその本人に生じること。転じて,自分のしでかしたことだから悪い報いを得てもやむをえないということ。」

業といえば悪いものだと考えがちですが、本来は悪も善も含めたことのようです。

そして、仏教では「業=自分」なのだそうです。

自分自身のことを言っているのですから、業のせいだけにして苦しんでばかりもいられません。

善い行いをして、自分を救うことも必要です。

中部経典では、こう記されています。(誓教寺住職 藤本晃)

 

生き物は

業が自分(自業自得)なのです。

業を相続するのです。

業が母胎なのです。

業が親族なのです。

業が拠りどころなのです。

業が、生き物を劣ったものや優れたものに分別するのです。

 

「善い行い」とはなんでしょうか?

特別なことではないと思います。自分ができることで、周りのためになること。

情けは人のためならず。」

この言葉も「自業自得」をよく表していますね。