シェークスピアの名言

 

例のごとく、これも名言集で拾ってきた言葉ですが、これは少し毛色が変わっていました。

シェークスピアの言葉です。

 

「お前は熊から逃れようとしている。

 しかし、その途中で荒れ狂う大海に出会ったら、

 もう一度獣の口のほうに引き返すのか?」

 

う~ん。「わかったふ~な~」をしようとも思いましたが、正直な話、状況がよくわかりません。

そういう言い方をされたら、荒れ狂う大海に向かうしかないのだろうなとは思うのですが、う~ん、でも、納得はしていません。

 

シェークスピアと言えば、「ハムレット」を初めて観劇した老婦人が「シェークスピアの作品は、私のよく知ることわざや名言・名句ばかりで成り立っているのね」と感嘆したというエピソードがあるくらいですし、「英語のことわざ・格言・名句集」の中で、シェイクスピアの数の多さは歴然としています。

 

ただし、シェークスピアの名言は、どちらか言うとポイントを突く簡潔な言葉で表現されているという印象があります。

「覚悟がすべて」とか「あとは沈黙」とか。(どちらも『ハムレット』から)

 

上の「お前は熊から…」の言葉は、どの作品からの言葉の引用なのだろうかと、少し探してみました。

出典は『リア王』の三幕四場からのようです。

 

ブリテンの老齢のリヤ王は、三人の娘たちに王国を三分割して、国譲りをし、引退しようとします。

ゴネリルとリーガンという上二人の娘は、美辞麗句をもって父親を賛美します。

末娘のコーディリーアは、王のお気に入りでした。しかし、「陛下、何も」(“Nothing, my lord.”)という返答がかえってきます。

その答えにすっかり狼狽した王は、末娘に裏切られたと思い、怒った王は末娘を勘当します。

しかし、長女と次女は、王国を譲られた途端、王に冷たく当たり、愛情の欠片もないことを露呈してしまいます。

 

絶望の中で道化を連れて荒野をさまようリア王が、語るセリフでした。

少し長いですが、どんなセリフなのかを紹介します。(リア王(光文社古典新訳文庫)安西徹雄訳)

該当する箇所を太文字にしています。

 

「この荒れ狂う嵐に肌を噛まれる、それが、それほど大したことだというのか。お前にはそうかもしれぬ。だが、重い病いが巣喰っておれば、小さな病いなど気にはならぬ。熊に出会えば、逃げもしよう。しかし、逃げる鼻先に吼(ほ)え猛る荒波が待っておったら、いっそ熊に立ち向かってゆくはず。心に悩みなどない時なら、体は敏感に感じるもの。けれども、今のわしのように、心に嵐が吹き荒れている時ならば、ほかの感覚などすべて消え去る。感じるのは、ただ、この胸を打つ痛みしかない。子が親に背く!わしの口が、食物を持ってきたわれとわが手を、噛み千切るようなものではないか。必ず思い知らせてやる。泣くものか。もうわしは泣かんぞ。こんな夜に、わしを閉め出す!もっと降れ。耐えてやるとも。こんな夜に。おお、リーガン、ゴネリル、この老いた、大恩のある父を、惜しみなく、一切を与えたこの父を―考えるな。それを思えば、気が狂う。もう考えるな。」

 

王の運命に対する失意、絶望が切々と語られています。むしろ熊の話よりも、病いや心の痛みの譬えの方が胸に響くぐらいです。

 

上の「お前は熊から…」の言葉から受けた印象は、「一度決意したことはやり通せ」ぐらいの意味でした。

「逃れられない運命なら、逃げないで戦うしかない」という決意は、王の凄まじい悲壮感からきているものです。

 

切り取られた「名言」は、時に誤解されながら一人歩きしてしまうものです。

これも、ひとつの例ですね。