散歩のススメ

 

仏教では、「判断すること」は個人の想念に過ぎず、妄想だとされています。

「知解消せずば、皆毒薬となる」という言葉もあります。

知解(ちげ)とは、観念的な解釈や見方のこと。

あれこれと判断することを続けるのは、心を失ってしまうのだという教えです。

自分が正しいという判断は、こだわりを生みますし、そもそも正しいかどうかは「私」が知り得た一方的な情報からの判断に過ぎません。

正しく理解するためには、簡単に判断することは邪魔になります。

「判断しないこと」が大切だというのですが、ちょっと考えただけでも難しいことがわかります。

私たちの日常は判断することの連続だからです。

「判断しないこと」をやろうとすると、今自分が判断しているのかどうかを、観察している必要があります。

それはちょうど瞑想の時に雑念が浮かんだことに気づいて、その雑念をやり過ごすことに似ています。

特に否定的な判断に支配された時には、そうしていることさえ自分で気づかずに、いつまでも否定し続けているものです。

そんな時は「今の感覚」で心を満たすことが良いのだそうです。

否定的な判断は、過去に起こった出来事を材料に、いつまでも脳内にグルグルと留(とど)まっている感情から起こります。

例えば、散歩してみること。

散歩して、五感を使って「感覚」をフル活動させるのが有効です。

その時、否定的な判断から遠ざかっていることに気づくでしょう。