禅語「無縄自縛」

 

禅語に

無縄自縛(むじょうじばく)

と言う言葉があります。

ありもしない縄で自分を縛りつけてしまうことです。

この場合の「縄」とは、思い込みや固定観念、慣習などのことです。本来であれば特に問題がないことも、それらが自分を縛る縄となって、行動や考えが限定されてしまうことを言います。客観的に見ると頑固で偏見に満ちていますし、モノゴトに固執していて自由でない状態です。

これはやっかいなことに「ありもしない縄」ですから、本人には「見えない縄」であることが多いです。

もしかしたら、「裸の王様」の着物のように、第三者の方が見えているのかも知れません。

まず、自分が縄に縛られているのを気づく必要があります。

そういうところは「無知の知」に似ていると思います。

「知らないことを知っている」

自分が、いつでも「無縄自縛」の状態に陥ってしまうのだと自覚しておくことが大切です。

禅が「無縄自縛」という言葉を残しているのは、そのためなのでしょう。

無縄自縛を解くことができるのは、それを自覚した人のみなのだと思います。