第36回沖縄県人工透析研究会のお知らせ(第3報)

 

第36回沖縄県人工透析研究会の抄録集が届きました。

表紙もとても上品な感じできれいな仕上がりです。

 

今回は、会長講演の抄録をご紹介いたします。

 


 

「物語」による透析医療

 

医療法人功仁会 さくだ内科クリニック

佐久田 朝功

 

医療の中心は常に患者であるべきだと言うのは自明のことです。

「◯◯ファースト」などと言われるずっと前から、我々医療者には「患者中心主義」や「パーソン・センタード・ケア」などの言葉に馴染んできた歴史があります。

ところが、その一方で、医療の現場で、時に最も傷つき疲れ果てているのが、対人援助職、つまり看護師をはじめとする医療従事者であると言われて久しい現実があります。

志が高く有能な同僚が「燃え尽き症候群」で離職せざるを得なくなったという事例は、他人事でない身近な問題として我々が経験してきたことです。

特に「透析医療」従事者は、腎代替療法に精通し、習熟した技術専門職であることを前提にしながら、慢性疾患を有した「人」を対象に、日々個々の問題を聞き取り、対話し、他職種と連携して、問題解決の道を探り続けていかなければなりません。

そういう意味で、透析医療従事者は「技」と「心」のエキスパートとしての働きが求められるものです。「心」を扱う医療従事者当人が、医療現場で疲弊している現実に心を痛めている者は少なくないでしょう。

ただし、患者の「心」については、多くの先人達が(例えば○○看護理論として)様々なアプローチを提唱してきましたし、その先駆者であるナイチンゲールも然りです。

その中で私が関心を持ち、共感を持って取り組んだのが「物語による医療」の臨床手法でした。

「物語による医療」では、患者自身が語る病気になった理由(その理解が全て正確でないにしても)、病気とどう向き合ってきたか、今どのように考えているか、これからの人生についての想いなどの「物語」から、病気の背景や人間関係を理解することが可能となります。理解ができれば、患者の問題に対して、全人的(身体的、精神・心理的、社会的)アプローチを試みることができます。

「物語による医療」に期待するのは、患者の問題解決に留まらずに医療者自身も「私の物語」を語る存在であり、人として向上心を持ち成長すること、自分自身をケアするツールとなることです。

今回の講演ではいくつかの症例を提示し、患者の語る「物語」と臨床経過、我々医療者側の「物語」の実践について紹介します。

 


 

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