忘れかけていた大切なこと ほほえみ一つで人生は変わる 渡辺和子著
久しぶりに、読んで優しい気持ちになった本でした。
最初から、第一章「もう一歩の優しさ」に心を打たれました。
引用して紹介します。
一緒に住んでいる修道院のシスターの一人が私に、「昨夜は鼻が詰まって、夜中まで眠れなかった」と話し、私は、それに対して、「あら、シスター、お薬をちゃんとお飲みになったの」と答えたことがありました。
答えて、別れた後で私は反省しました。なぜあの時、まず「辛かったでしょう」と言ってあげられなかったのだろうかと。
というのも、以前聞いた一人の方のが心に残っていたからでした。その方が、入院中、幾夜か眠れない日が続いたので、そのことを主治医に訴えたのだそうです。すると医師の答えは、次のようでした。
「では、お薬の量を増やすか、別の薬を出してみましょう」
同じことを、病室を訪れた看護師さんに話したところ、「そう辛かったでしょう。夜が長く思われたでしょうね」という言葉が返ってきて、その人は、救われた思いがしたと話してくれたのでした。
主治医の応答は、妥当で非の打ちどころのないものだったに違いありません。でも、それは職業的な処置であって、必ずしも患者の心の痛みを癒すものではありませんでした。
― 引用ここまで ―
そのあとに筆者はこうつづっています。
私たちの日々の生活の中には、この「不親切でないけれど、親切でない」ものが、結構多いのではないでしょうか。もう一歩踏み出す勇気と優しさに欠けていることが。
もう一歩を踏み出す勇気と優しさ。
この筆者は、医療者を含めた対人援助職の方々の気持ちをよくご存知なのだろうと思いました。
対人援助職をなりわいにする人々にとって、「優しさ」をストレートに表現するのは実は勇気のいることです。
むしろ、業務をこなすことを徹底し、事務的な態度で、あくまでも適切な処置に気を配る方が、傷つかずに済むことが多いのだと思っています。殻で防御している感じです。
病院の中で、心身ともに一番傷ついているのは実は医療者なのかも知れないというお話は、もうずっと前から言われてきたことですね。
でも、実は、他人の心の痛みや苦しみに共感できると、敵対していた世界が、ある日微笑みを持って暖かな手を差し伸べてくれるものです。
不親切でないことに安心して、それでよしとしない。
それが、ひいては自分を大切にすることになるのだと思っています。
もう一歩を踏み出す勇気と優しさは、決して外だけに向けられたものではなく、自分に向けられたものだと思います。