名僧である明恵は、月を愛し、月を詠んだ歌が多く
「月の歌人」と呼ばれていました。
そして、明恵が残した「あるべきやうわ」という言葉の意味を考えるとき
とても気持ちが引き締まる想いがします。
明恵が月を歌った歌を紹介します。
昔みし道はしげりて跡たえぬ月の光をふみてこそ入(い)れ
(当時の道は雑草が茂っていて、跡形もなくなってしまっている。月の光を踏んで、入ってゆくのだ。)
次の歌が面白いです。月の明るさを歌ったものです。
あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月
谷川俊太郎さんのことばあそびを彷彿とさせる歌ですよね。
さて、明恵は
『阿留辺畿夜宇和[あるべきようわ]』
という言葉を座右の銘にしていました。
『栂尾明恵上人遺訓』の冒頭には
「人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)と云七文字を持つべきなり」
という法語から始まっています。
「明恵 夢を生きる」という本で、河合隼雄先生は次のように、「あるべきようは」について紹介してくれています。
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ある時、明恵に糖桶(あめおけ)を贈った人があった。
明恵はどうも糖(あめ)が好きだったようだ。
後日になって明恵がその糖桶(あめおけ)を持ってくるように言ったとき、体裁をよくしようとして桶の上にあった藤の皮をむいて差し出したところ
「糖桶(あめおけ)は上を巻きたるこそ糖桶(あめおけ)のあるべきやうにてあるに、あるべきやうを背きたる」
と言って涙を流したという。
どんなものでも、それにふさわしい在りようをもっており、それを尊重したいという気持ちであろう。
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明恵が「あるべきやうに」とせずに「あるべきやうは」としていることは
「あるべきやうに」生きるというのではなく
時により事により、その時その場において「あるべきやうは何か」という問いかけを行い
その答えを生きようとする
極めて実存的な生き方を提唱しているように、筆者は思われる。
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つまり、日本人が好みそうな「あるがまま」という意味ではないだろうと言っています。
人にとって、常に「あるべきようは何か」という問いかけは
こころを見つめ、自分と対峙することの促しになるものでしょう。
それは時に厳しいものかも知れません。
でも、そこにすごく憧れを感じます。