自分の情熱はどこにあるのか、そもそも自分に情熱があるのか。多くの人が、何となく確信がないままに、漠然と「情熱探し」をしているかも知れません。
「『情熱』はマラソンを走るようなものだ」と譬えた人がいました。
スタートラインに立つとき、全てが明確で、自分がどこに向かっているのか、何を達成しようとしているのかがはっきりとしている。しかし、道のりは険しく、時には予想外の障害が立ちはだかる。
それでも、マラソンランナーは、その障害に直面しても諦めず、目的地に向かって走り続ける。それが彼らの情熱であり、その情熱が彼らを前進させる原動力となる。そして、その情熱が彼らにとって何かを達成する喜び、充実感をもたらす。
ただし、情熱はそんな(あえて過酷な)特殊な状況下だけで発動するものではありません。
一つの特定の目標に向けられるのではなく、日々の生活の中にこそ見つけていいのです。
例えば、窓ガラスを磨く仕事であったり、新しいスキルを学ぶことであったり、人々の問題を解決することであったりします。
それらは全て、一つのマラソンのように、困難を乗り越えて達成する価値のある目標となり得るはずです。
最も重要なのは、情熱は外から探すものではなく、自分自身の中から見つけ出すものだということ。
人はよく「あなたの情熱は何か?」と尋ねられます。
しかし、その答えは一貫して一つではなく、何度も変わることがあるものです。
だからこそ、一つの情熱を見つけようとするのではなく、自分が何をすることができ、どのように人々の問題を解決することができるかを、その時々で見つけることが大切です。
「情熱の探し方」とは「生活するなかで自分の興味や得意なことを見つけ、それを活かして何かを成し遂げる中で自然に見つけ出すもの」だと言えます。
